| 松本清張と『金日成伝』
推理小説『北の詩人』は・・・
幸いなことにわたしが入院した際の結核療養所の病室のベッドは、6人部屋の中庭側の片隅にあったので、わりあい明るかった。むろんそこに、机などがあるわけではない。1日に3回の薬を飲むための茶碗や薬などを載せる台がついている、ちっぽけな木製の物入れとこれまた木製の、丸椅子が1個あったにすぎない。
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清瀬結核療養所の跡地は、今では中央公園になっている |
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その物入れの台を机代わりにして、金達寿から届けられた『金日成伝』のハングル原稿を日本語で訳し始めた。
その頃、巷でヒットしていた歌は「小指の想い出」と「黒い花びら」。同室の一人で築地の魚河岸から入院してきた若い患者が猛烈な演歌狂で、これらの歌を聴くためにラジオのスイッチを朝から晩まで入れっぱなしだったので、否応なしにこれを聴きながらの作業という羽目になったせいで、いまでもこれらの歌が流れてくると療養中のことが思い出される。
ことさらにいうまでもなく、翻訳という仕事は原文を正確に読み込むことから始まる。したがって一字一句おろそかにはできない。ということは、翻訳者こそ、その文章もしくは作品の、もっとも忠実な批評家の一人だということである。
実際に『金日成伝』を翻訳しながら、内心では、どこから出版するのか知らないけれど、この内容ではとてもダメだろうと×印をつけていた。言い換えると、日本の出版社からの出版は、おそらく無理だと判断したのである。
理由は簡単。いやしくも敬愛する首領様の伝記なのだから、よいしょするのは仕方がないとしても、あまりにも実証的な裏付けに乏しかったのである。しかも読者が感動すべきところを、書き手が陶酔してしまっていた。
依頼された翻訳を終えて原稿を届けるために、病院の外出許可をもらって事務所に金達寿を訪ねた。そしてその折に、この原稿をどこの出版社から本にするつもりかを訊ねると、思いもかけなかった言葉が返って来た。
実は、松本清張にリライトさせて岩波新書で出版したいのだと。そしてその裏話をひとくさりしてくれるではないか。
この頃ベトナム戦争の影響もあって、岩波新書として出版されたチャールズ・フェンの『ホー・チ・ミン伝』(1974年)上下2冊がたいそう評判を呼んでいた。そこでこれにあやかり、『金日成伝』をだすことにしたのだが、その書き手として松本清張に白羽の矢が立ったのだと。なぜ松本清張でなければならなかったのか。
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清瀬結核療養所の跡地は、今では中央公園になっている |
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彼の本は何冊も有名な出版社からでてベストセラーになっているが、彼の作品が1冊も出版されていない書店が一つある。それが岩波書店だ。そこで松本清張からも、『金日成伝』を岩波新書としてだせるなら引き受けてもよいという返辞があって、松本が執筆するための資料として緊急に翻訳させたのだと。
まるで松本清張が、執筆を承諾したかのような口ぶりだったのが印象に残ったが、それにしても、松本清張ほどの傑出した推理作家にして岩波コンプレックスがあったとは、にわかには信じがたいことだった。
ましてや彼の推理小説や近・現代史に関わるドキュメンタリーを読んでいたら、何よりもリアリテイや実証性を重んじるこの小説家が、『金日成伝』の執筆を引き受けるかどうか、すぐにも正確な判断がつきそうなものだが、金達寿にはそれができなかったのだろう。つまり彼は、松本の作品を読んでいなかったということである。
それでは、松本清張は『金日成伝』の執筆をほんとうに承諾したのだろうか。心証としては、何らかの条件つきで承諾していたのではないかと思う。
その根拠をこの推理作家にならって推理してみると、第一に、松本清張は朝鮮とまんざら因縁がなかったわけではないので、引き受ける可能性があった。彼にはすでに『北の詩人』という表題の、朝鮮のプロレタリア詩人として名高かった林和を主人公とした推理小説があった。
1950年6月25日に発生した、日本ではもっぱら朝鮮戦争として知られている戦争は、首領様が主演を、スターリンと毛沢東が助演をそれぞれ演じて引き起こされたものであった。
ソビエト崩壊後に流出した秘密資料や毛沢東の死後に明るみにでたさまざまな資料によっても、いまやその事実を疑う余地はない。だが、この戦争は首領様の失敗という結果に終わった。その責任を誰かに負わせて処刑しなくてはならない。そこで考えだされたのが、朴憲永や林和など南朝鮮労働党出身の幹部たちが「米帝」のスパイだったという説であった。
今日の韓国で林和を知る人たちの中に、彼の「米帝スパイ」説を真に受ける文学者などいないけれど、松本清張が種本にしたのは『暴かれた陰謀』と題した冊子であった。これについてわたしは昨年のある雑誌に、次のように書いている。
「……初めて翻訳を手がけたのは、朝鮮労働党中央委員会の機関紙『労働新聞』に掲載された長文の論文で……〈現代朝鮮研究会〉という架空の団体訳として、1954年9月に神田三崎町の駿台社から出版された。表題は『暴かれた陰謀』173ページ。その後これを下敷きにして、松本清張が小説『北の詩人』を書いている…」(「朝鮮にも文学があるんですか?」『民主文学』2007年7月号)。
つまり『暴かれた陰謀』はわたしが初めて翻訳した論文だが、小説『北の詩人』はこの論文の内容にきわめて忠実に、林和を「米帝」のスパイに仕立てあげていた。
あん うしく(桜美林大学名誉教授)
詩 うたごゑ
金素月作/金素雲訳
岩波書店刊 金素雲訳編「朝鮮詩集」より
よきひとのうたごゑは
こゝろにぞ濡れそぼる。
ひねもすは外にたゝずみ
きゝまもる うたのしらべの
暮れなづむ夕(ゆふべ)の耳に
はた よるのゆめに泌むなる。
あはれ かのうたの細音(ほそね)に
睡(うまい)こそいよゝ深しや
ひとりねのわぶる臥床も
さながらに ゆめのはなぞの。
しかすがに 醒めてののちの
うた一つあらぬ憂(う)たてさ、
うつゝこそ いかにせつなき
かのうたの きゝつゝわする。
金素月は1902年平安北道亀城郡で生まれた。20歳で忽然と文壇に現れ、流れるような朝鮮語で「情」と「恨」とを独特の律調で表現した。天才詩人と呼ばれ、素朴な民謡調をもって人々に愛されたが、33歳を一期に自らの命を絶った。
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