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「チベットは見捨てられた」
「独立」言えぬ悲しみ
白い雪山の前で、2頭のスノーライオンが向き合って3つの宝石を支えている。ガンデンポタンの表徴だ。
1912年にガンデンポタン(チベット政府)がチベットの独立を宣言した時、ダライ・ラマ13世がこれを国旗に定めた。一般に「雪山獅子旗」と呼ばれる。
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「われわれには人権がない」。4月9日、甘南チベット自治州で雪山獅子旗を手に抗議の声を上げる僧侶(聯合ニュース) |
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スノーライオンは、チベットの精神を示してあらゆる困難を超克していくことを象徴しており、3つの宝石は、チベットの民が精神的な拠り所とする源をあらわしている。ブッダとダルマ(法)、そして僧侶だ。
2008年3月、ラサや四川省、青海省で、人々は雪山獅子旗をかざし、五星紅旗を燃やした。
「チベット独立」を叫んだにほかならない。
中国政府は、雪山獅子旗の掲揚を、「チベット独立の意思を示すもの」として厳禁している。その罪は重く、禁固刑などの実刑が待っている。
人々は投獄を覚悟で雪山獅子旗をふりかざした。
ダライ・ラマ14世は、そうした行為をやめよと言う。
ラサで「暴動」が発生した直後、彼は亡命地、インド北部のダルムサーラで「中国チベット自治区での騒乱が拡大するなら、引退するほかない」と、人々に自重を促した。
人々は言葉を聞き入れようとはしなかった。
暴動が拡大した四川省で、一人のチベット人が額から血を流しながら叫んだ。「私たちはもうダライ・ラマとは関係ない」
この声が多数であるのかはわからない。ダライ・ラマ発言が、「ダライ一派の仕業」として対話を拒む中国政府の強硬姿勢に配慮したものなのかもわからない。
彼が、この数十年、「独立は求めない」と繰り返し語ってきたのは事実だった。2000年4月に来日したときも、「チベットは反中国ではない」と強調した。
「“ダライ・ラマ”の称号を戴く私に対して、国内外のチベット人から信頼と期待を寄せられていることも、また私自身に道義的な責任があることも承知している。しかし私たちが求めているのは独立ではなく、純粋にして高度な自治だ。この問題については、私たちと中国側の双方が同意できると考えている」(4月18日。東京都内の記者会見で)
ところで、この記者会見では、集まった人々の胸を詰まらせることがあった。
「これまででいちばん悲しかったことは何か」とある記者が質問したときのことだった。彼はこう語った。
「これまでの人生ではいくつかの悲しいことがあったが、1959年、インドヘ亡命する際、国境まで見送ってくれた私の護衛たちと別れなければならなかったことが一番、辛かった。彼らにはこの後、確実に死が待っていたからで、彼らの勇気を讃えると同時に、そのことは今でも忘れられない」
おそらく、多くの人がダライ・ラマの真意を見た気がした。「独立を求めない」と語る彼の言葉は、「これ以上、死なないでくれ」という人々への願いのように聞こえたのではなかっただろうか。
『インディアンエクスプレス』の編集長で、チベット動乱直後に“TheRevolt in Tibet”を出版したフランシス・モラネスは語っている。
「彼は“独立”を求めることの非常な困難さを独りかみしめたのだろう。いや、自分がそれを言うほどに人民に災難がふりかかると思ったのだろう。彼はそのことを50年の侵攻と北京訪問で悟ったのだ」
1950年、中国軍によるチベット侵攻が迫る中、チベット議会は、英国や米国、インド、ネパールなどの近隣諸国に、侵攻中止を勧告するよう訴えた。いずれの国も中国に向かって「止めよ」という、その一言を発することはなかった。
それでもチベット議会は国連に働きかけた。国連総会は、議題に上らせることもしなかった。チベット問題は棚上げにされ、そして今も「チベット独立」に対する世界の態度は変わることはない。
「西藏をいわゆる“独立国家”と承認する国は世界に一つもない」
2006年12月、中国外交部の定例会見で秦剛報道官が放った言葉だ。
ダライ・ラマは1962年に出された回想記で、「チベットは見捨てられたのだと私は実感した。…自分にできることは交渉に最善を尽くすことだけだった」と述懐している。
(編集委員・梁基述)
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