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2008年5月1日発行
 
わたしの徒然草 1970年代の影(1) 
安宇植
 
 

なぜ『金日成伝』であったか
金達寿からの電話

 前回までこの欄で取り上げてきた、ベトナム派遣アメリカ軍からの脱走兵キム・ジンスに関することは、直接には、作家であったばかりでなくベ平連の運動をリードした平和運動家の一人でもあった、小田実の死去に触発されてのことである。けれども、彼を代表とするベ平連とその仲間たちが市民運動を展開した、1965年から70年代初めにかけての時代は、いまでは「在日」とひと括りにされている韓国人と朝鮮人の社会でも、著しい変動が見られた時代でもあった。韓国では1970年6月2日に、総合雑誌『思想界』に掲載された長編風刺バラード「五賊」に端を発し、やがて金芝河が抵抗詩人と謳われるきっかけとなるいわゆる「筆禍」事件が発生しており、さらにまたそれから3年後の1973年8月8日には、東京・九段のパレスホテルから政治家金大中が拉致される事件が持ち上がっていたうえ、おまけに日本ではもう一つ、「首領様」に対する個人崇拝がピークに達し、それに伴い韓国風に表現するならば、さまざまな「副作用」が見られるようになっていたからである。
 事件の影響ということでいえば前者のほうがはるかに大きかった。けれども在日朝鮮人の社会への影響ということでは、日本でのもう一つのほうがはるかに直接的であった。おまけに、順序からしても後者のほうが早くから顕著になっていた現象なので、この問題からまず触れていくことにしよう。

1970年6月、やがて金芝河が抵抗詩人と謳われるきかっけとなる「筆禍事件」があった
 

 岩波書店から出版されている『日本史年表』(増補版)の1959年4月13日の項には、「在日朝鮮人の北朝鮮帰還に関する日朝協議調印(12月14日、帰還第一船)」とある。そう、北朝鮮へ帰国する在日朝鮮人を乗せた第一船、当時のソビエトの貨客船トボルスク号が、新潟港を出帆したことを暗に伝える記述である。そしてこの日を境に、在日朝鮮人のすべての運動はそれまでにも増して、ピョンヤンからじかにかつ強力にコントロールされることになった。なにしろ共和国の「在外公民」として認知されていたのだから。その結果、いまではそれが黄長Y氏によって考案されたことが知られている、「チュチェ(主体)思想」とやらいう言葉を始めとして「思想体系」よ、「唯一思想」よといった耳新しい言葉が、いわゆる活動家たちの間で相次いで流行するようになった。
 これと並行してそれまでにも増して、「将軍様」もしくは「首領様」、または「元帥様」への忠誠を行動で示さねばならぬ徹底した個人崇拝が求められるようになったことは言うまでもない。そしてこれは、1960年代に入って党中央の組織部長のポジションについた、今日の2代目「将軍様」によって制定された十大綱領に基づくものと説明された。
 この頃とそれより早い1950年代も後半だったかにたしか、日本共産党の委員長だった宮本顕治がピョンヤンを訪問して、「首領様」と面談したと記憶している。その頃たまたま、共産党系の出版社の依頼で仕事を進めていたせいもあって、宮本顕治が訪朝した際のささやかなエピソードを、編集者から聞かせてもらったことがある。その一つは、第1回目にピョンヤンを訪れた際には、周囲の人たちつまりは部下たちの「首領様」に対する「個人崇拝」的な振る舞いを、「首領様」がたいそう恥ずかしそうに顔を赤らめながら、自ら率先してこれをたしなめ、否定して回っていたので好感を持てたが、2度目のときは「個人崇拝」を当然のこととして受け容れていたというのである。もとよりこうした現象について、宮本顕治の意見とか論評などが伝えられたわけではない。目の当たりにした、いわばあるがままの現象を伝えてくれたに過ぎない。
 もう一つある。1967年頃から2年半ほど、わたしは結核を患って清瀬市にあった東京病院に入院したことがある。何しろ40年も前のことだからあの辺もずいぶん変わってしまっただろうけど、当時は俗に清瀬の結核療養所といわれたところで、すぐ近くにハンセン病患者たちばかりが入院していた全生園だったかがあった。わたしのほうは1室6人ずつという大部屋の入院生活だったけれど、ある日のこと金達寿から電話がかかってきた。むろんケイタイ電話などはない時代で、看護師たちの部屋へ行って受話器を受け取るのだが、用向きは、至急にある原稿を日本語に翻訳しなければならないので、何人かで分担して進めているが、協力してもらえないだろうかということであった。当時の彼は在日朝鮮人の文学芸術団体中央本部の、副委員長という役職についていた。
 結核療養所の入院生活といっても、病状によって与えられるパスとかヒドラなどの薬を服んで病巣を治癒させる生活であったから、ベッドに寝たきりで手足を動かすことができないとか、思考能力に支障があるということではなかった。そこで暇つぶしに、この依頼を引き受けたことはいうまでもない。
 すぐさま入院室宛に届けられたずっしりとした原稿というのは、お世辞にも紙質がよいとは言えない原稿用紙に手書きの、『金日成伝』であった。北朝鮮から送られてきた生原稿であることはすぐに見て取れた。

 
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