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2008年5月14日発行
 
わが同胞(はらから)の心象 葬送記−24−
金両基
 
 
新羅の文武王の海中陵
東海のほとり 「海龍となり三韓を鎮護」
進行が生んだ物語

 百済と高句麗を倒して三国統一の偉業を成し遂げた新羅の文武王(ムンムワン=法敏〔ポンミン〕王の謚〔おくりな〕)の陵は、遺言によって海中に作ったと『三国史記』と『三国遺事』に記されている。遺言によって亡骸を仏法にしたがって荼毘だびにふし、海中陵に葬ったという。

文武王海中陵、史跡第158号。岩が四方を囲み、その中央に文武王の遺骨を納めたという板状の岩がある。 金両基監修『図説韓国の歴史』河出書房新社より
 

 法敏王が亡くなり謚を文武と定め、群臣は遺言によって「東海の入り口にある大きな岩の上に葬る。俗伝によれば、王は龍に化身し、その岩を大王岩と呼ぶ」(『三国史記』)とあり、その後にかなり長い遺言がつづく。そして自分の死後「十日たったら庫門の外庭で西国(インド)式に火葬にふし、服装など葬送儀礼は簡素にし、喪の制度は努めて倹約せよ」で終わっている。
 それは三国統一を成し遂げた王の遺言とは思えないほど質素である。そこから死後の国の維持安泰を願う文武王の思いが伝わってくる。韓国の歴史をたどってみると、名君は質素であり死してなお国の維持安泰を願い、虚飾にまぶされた君主は国を滅亡へと誘っている史実にしばしば出あう。そうした歴史から学ぶことは多い。
 仏教が国教になったのは高麗時代からであり、新羅時代は、仏教は隆盛を極め、石窟庵や仏国寺などの優れた仏教文化を遺している。が、国教にはなっていなかったので荼毘はまだ一般的ではなかった。そのなかで文武王は自ら亡骸を荼毘にふし、遺骨を海中に葬るように言い残す。その荼毘から新羅人の仏教への篤き思いが伝わってくるが、記録からは仏教的葬送儀礼はうかがえない。
 文武王の母は金?信(キムユシン)将軍の妹であり、新羅に滅ぼされた駕洛(カラク)国(大加耶)の始祖金キム首ス露ロ王は母方の先祖(金海金氏)である。つまり文武王には金海金氏の血が流れているのである。駕洛国が滅んでからもその宗廟での祭礼はつづいていたが、文武王が誕生する前の六十年間、宗廟での祭礼が寂れていた。文武王はそれを復活し、「美しきかな文武王〔法敏王謚也〕、絶えていた祖先の祭祀を復興させた、これ孝なり、孝なり」(『三国遺事』駕洛国記)と讃えられた。
 駕洛国記には「昔から滅びない国や崩れない墓はない」という唐の辛替否(シンジェブ)のことばを引きながら「駕洛国は滅んだのでそれは当たっているが、金首露廟は壊れていないので辛替否のことばは信じるに値しない」とあり、滅んだ国の始祖廟が守られてきた。始祖廟については別の機会に触れるが、これらの言い伝えから先祖の建てた国を死守することは孝であり、それは護国精神に直結していたことがうかがえる。海中陵も護国から生まれたのである。
 父である文武王の後を継いだ神文王は東海のほとりに感恩寺を建てるが、その『寺中記』に記されていたくだりが『三国遺事』万波息笛(マンパシクチュク)の条に引用されている。「文武王が倭兵を鎮圧するために感恩寺を建てているとき亡くなり、王は死して海龍になり」「海龍になって三韓を鎮護する」ために海中に遺骨を葬るように言い残したのであった。ここで言う倭兵は、倭寇などの東海から侵入してくる異国人を中心とした無頼集団である。遺言を遺すほど新羅の海岸地帯に侵入して大きな被害をもたらす外敵がおり、それらを倭兵や倭寇と呼んでいた。
 「遺言によって納骨したので海中の岩を大王岩といい、寺を感恩寺と呼び、龍が姿を現したところを利見台といった」(『寺中記』)
 ある日のこと、神文王は臣下から「東海の海中に小さな山が浮かび、波に揺られながら感恩寺に近づいてくる」という報告を受け、それを日官(イルクゥン=占い師)に占わせると大きな宝が授けられる兆しだという。そこで王がその場所に出向き、船に乗って海中に浮かんだ岩山に入ると黒い龍が姿を現して王に玉帯を捧げ、岩山に生えていた竹をわたしながらそれで笛を作り、その笛を吹けば天下に平和をもたらすというのであった。さらに「王の父は海中で大龍、金?信将軍は天神になられ、二聖はこの至宝を王に捧げるよう命じられました」といって黒い龍は姿を消した。
 その竹で作られた笛を吹くと「敵兵は退き、病は癒え、干ばつには雨をもたらし、降りつづく雨が止み晴天となり、強風おさまり波が静まった」ので笛を万波息笛と名付けて国宝に指定した。
 これらの不思議な現象は三国統一の偉業を成し遂げた文武王の神霊、神力によるものであり、国の鎮護は先王たちの国づくりに応える孝からきていた。その心が篤ければ篤いほど死後に大きな力を得ると信じていた信仰の力が創出した物語である。
 この物語から、人間の霊にはこの世に留まる生霊と来世に旅立つ死霊の二つがあり、生霊と死霊は超能力者や霊媒師を通してコミュニケーションが出来る仕組みになっているようである。それを、苦難苦境を乗り越えるために創出した霊魂不滅の物語として考えるとわかりやすい。

 新羅(しらぎ/しんら/シルラ、紀元356―935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。新羅、高句麗、百済の3カ国が鼎立した7世紀半ばまでの時代を朝鮮半島における三国時代という。新羅は7世紀中ごろに朝鮮半島をほぼ統一し、高麗、朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。現代の大韓民国の原型ともいえる。

三国時代の地図
 

韓国最古の歴史書

 三国史記(さんごくしき)は、高麗17代仁宗(在位:1123―1147年)の命を受けて金富軾(キムブシク)らが1143年に執筆を開始。1145年に完成させた三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の正史である。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。全50巻。
 三国遺事(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206―1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。


 
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