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「誰も助けに来なかった」
昔も今も、世界は人権の問題に対して無力だ。情報不足からなのか、無関心だからか、それとも故意に見過ごしてのことか。おそらく「故意に」であるのだろう▼1942年、米国務省は、「HIMMLER PROGRAM KILLS POLISH JEWS」(ヒムラーのポーランド・ユダヤ人虐殺計画)と題する報告書をまとめている。世界はホロコーストの情報を得ていた。連合国が手を打つことはなかった▼英国情報部のウィリアム・キャベンディッシュは最も冷ややかだった。「我々を煽るために、ユダヤ人が残虐行為を誇張しているにすぎない」▼在米ユダヤ人団体は43年、ルーズベルトに会見を申し込み、ホワイトハウスに「BLUEPRINT FOR EXTERMINATION」(絶滅のための青写真)というアウシュビッツ実態報告書を差し出した。米国もまた、冷淡に終始した。「戦争を終わらせる努力の下で、ホロコーストを止めようとする行動は妨げになる」(ルーズベルト)▼ホロコーストを生きのびた人にレイ・カーナーという人がいる。彼女は、「誰も助けにきてくれなかったのはなぜ?」と、強制収容所の地獄を振り返りつぶやいた。アウシュビッツからの生還者でノーベル平和賞を受けたエリー・ウィーゼルの言葉もある。「連合国がその気にさえなっていれば、アウシュビッツを攻撃することもできた。多くの命が助かったはずなのだ。世界は今も、人権の重大さを侮っている」▼ダライ・ラマは半世紀にわたり、「チベット民族に自由はない」と世界に訴え続けた。チベットに「独立」は訪れようとしない。「独立を求めない」とダライ・ラマは言う。「せめて人々を殺さないでくれ」という悲痛な叫びに聞こえる。チベット騒乱から1カ月、やはりというか、報道は潮が引くようになった。「誰も助けに来なかった」というレイ・カーナーの言葉がよぎる。(M) |