| 先山に帰れなかった遺骨たち
高安山を抱える生駒山地は、古代から山岳宗教の地として栄え、今も民間信仰、民俗宗教の霊地としてひろく知られる。そして、生駒山地西麓には60カ寺にのぼる、いわゆる「朝鮮寺」が点在する。高安山の一角に在日韓国人の墓が集中するようになった背景のひとつなのか。
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私は何より思うのである。在日韓国人は移民とその子らではないということを。高安山山中におりなす人々の「生」と「死」の光景がそのことをよく語っているように思えた |
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実際のところはあまりよくわかっていない。一般に、在日韓国人の在阪人口が全国で群をぬいて多いことと、交通の利便性、墓地価格の安さが「信貴山」に、彼らの墓地集中をもたらしたのだと説明されている。
20年前の墓参のおり、ついでに生駒山地を踏査することがあった。高安山の麓、黒谷の、ある寺に立ち寄ったときのことである。住職は私の質問をうけて、「なんで朝鮮人の墓があないにぎょうさん集まってるのかやて? そんなもん深い理由なんてあるかいな」と少し顔を歪めて言い、続けて、
「だいたい、あの人らはかたまるのが好きやよってな」
と、そっけなく言った。
私は苦笑をもらした。でも、確かに「かたまる」いわれはあると思った。
曹洞宗の法師で、李法全という住持が当時、東大阪市に寺を置いていた。住持は、「韓国人の宗教観は自然崇拝と結びついている」のだと説明し、だから、山に墓をつくるのが韓国人の一般的な習慣なのだとも言った。
山といってもどこでもいいのではないらしい。「青龍」「白虎」「来龍」「内明堂」などというのがあって、丘陵の向きや形を指して墓所が決められたのだそうだ。“地官”と呼ばれ地相を見る人がいる。人々は彼らの風水鑑定をよく受けていたという。
“信貴山の墓”も最初の頃は、そうした地相に基づいて建てられたのかもしれない。それが次第に、「同胞の多く眠る場所だから」という理由となり、人々を安心させ導いたのか。
李法全住持は、「安心して皆が行くようになった。国に帰るのをあきらめてのことでしょうが、本当ならちゃんと遺骨を先山(先祖の墓所)に納めるべきなのです」とつぶやいた。
しかしである。その先山をなくした人は少なくない。離郷して数十年。直系子孫が絶えた家もあろう。戦争(朝鮮戦争)も経ている。故人を故郷先山に…と思うのにも、それが適わぬ現実があるということを、李法全住持は理解しないわけにはいかなかった。
「骨は日本に埋めるしかないですかね…」。住持は瞑目した。
少し調べてみた。「信貴山」に、彼らの墓所購入ラッシュが始まったのは65年以降であったことがわかった。65年と言えば、「日韓条約」が締結された年だ。条約は在日韓国人の法的地位を定め、法的地位は、勢い彼らを永住権取得へ、後には少なからぬ人々を“帰化”へと赴かせた。日本社会への定住化が顕著となり、1世から2世への世代交代も開始されようとしていた。その頃まで、多くの人々が日本社会を「腰掛け」、「仮住まい」のように見なしていたということは数多の証言で語り継がれている。不動産などを得ようとする気持ちは希薄だったという。
「いずれは帰るのだから」
少なからぬ人がそう思ったのだろう。遺骨も「朝鮮寺」に安置した。「いつかは持って帰るのだから」と。
20年前、大阪市内の朝鮮寺を訪ねたことがある。本堂脇の遺骨安置所に無数の遺骨が並んでいた。焼香台には、「朝鮮殉難者之霊」と書かれた碑木が立てられていて、骨箱には、故人の氏名、供養者の名を書いた紙と遺影が貼られていた。その骨箱の多くは信貴山へとやがて移されていったのかもしれないのだが、今では誰がどのように信貴山に向かったのか確かめようもない…。
編集委員 梁基述
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