| 死ねない超人 「男の子がほしい」
400年ほど前の話である。死後に無縁仏になることを憂いている超人的な神通力をもった文戸長(ムンホジャン)という男性がいた。祭祀をしてくれる後継者―男の子がいない文戸長は、自分の死後どうしたら祭祀をして貰えるかを考えていたが方法がみつからなかった。
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霊山端午クッの渡御(とぎょ)
村の守護神が乗った藁葺きの神輿(シンヨ)の前面には虎を従えた冠を被った老人像(文戸長)が描かれている。神輿の後に神遊びを演じる集団が続く(左中央)。
撮影=金秀男・出典「韓国民族文化大百科事典」 |
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ある日、馬に乗って村を巡察していた監察司が池にかかっている橋を渡っているときであった。とつぜん馬がいななき動こうとしないのである。
監察司は司庁にもどってその原因を調べてみると、それが文戸長の仕業であることが判明し、かれを捕らえて取り調べた。しかしきつい仕置きも拷問も通じず、かれは平然としていた。その超人的な強さと不可思議な現象を目の当たりにした監察司がそのわけを問いつめると、不思議な話をするのであった。「わたしの脇の下には3枚の鱗があり、それがわたしの命の源泉であります。鱗が神通力を持っておりますのでどのような拷問も通じません。もし、監察司さまがわたしの希望を叶えて下さるならば、鱗を落とす方法をお教えしましょう」というので監察司はかれの希望を聞いてみた。
文戸長は「自分には後を継ぐ男の子が授からず、死後の供養をしてくれる人がいません。鱗を落としてわたしが死んだら、毎年5月5日の端午の日に自分の霊を供養してほしい」と言うのであった。
監察司がかれの希望を聞き入れると鱗の落とし方を伝え、鱗を落とすと文戸長は息を引き取った。それから毎年旧暦の端午の日に村では文戸長の供養をするようになり、いつしか洞祭(トンジェ=村祭り)として行われるようになった。
斎戒沐浴して供養すれば、村は平穏無事に豊年を迎えるが、供養を怠ると恐ろしい神罰がくだると言い伝えられている。
自分の命と引き替えに祭祀、死後の供養を得たというこの伝説はいまから400年ほど前にはじまったと言う。慶尚南道昌寧群霊山面では旧暦5月5日の端午の日に霊ヨン山サン端タ午ノクッとして行っており、文戸長神を祀るクッなので文戸長クッともいう。
村には文戸長・本妻・娘・妻妾の4つの祠が祀られている。文戸長と本妻との間に娘が一人いたが、女性なので祭祀者になる資格がない。そこで男の子を得たいために妻妾を迎えたがそこからは子どもを得られなかったようである。
妻妾の祠を公然と設けているところが面白い。男の子が産めない妻は離縁の理由にされたその時代、夫が男の子を得たいために妻妾を迎えても本妻にはそれを止めることができなかった。本妻と妻妾との葛藤が、神遊びで面白おかしく諧謔的に演じられる。
絶対権力を持っていた王ですら男の子が授からなければ一族から次の王が選ばれた時代、王は何人もの側室を置いて男の子づくりに励んだ話はテレビ連続ドラマの「大長今」でもお馴染みである。
祭祀の供物は女性が作り、祭礼は男性が行う習俗をわたしも体験し続けている。男の子をわたし一人しか産めなかった母は肩身が狭かったという。
わたしが中学生のとき父が他界し、母が父の祭祀の供物を準備し、わたしが母に教えられて祭祀を行ったように、女性が裏方として祭祀を支えてきたことは否定しがたい事実である。その母からわたしは祭祀の文化を教わり、受け継ぎ、その後専門的に祭祀の研究をすることになったが、婿養子の制度がない韓国では、文戸長の苦悩を人々は共有できたのである。
文戸長の祠には「文戸長先生神位」と書かれた位牌と虎を従えた文戸長の神像がかかげられているが、虎を従えた神像は、村里の祠に祀られている守護神の山神図とかわらないので、この伝説は山神の変容したものと考えられる。
四十数年前に初めて現地を訪れたとき、村の古老たちは、文戸長は生まれつき神通力を持ち、霊山の霊鷲山(ヨンチサン)に住む虎に跨って神出鬼没する神霊で、女色や風流を好んだ。そのために盛大な神遊びを奉納していると語った。妻妾を迎えた話からもそれがうかがえて面白い。
文戸長クッの本祭りは端午の日であるが、4月25日から準備を始めた。
まず遊び上手で不浄に見舞われていない男性から、祭祀を司る戸長とそれを補助する首ス奴ノを選ぶ(写真左中央にその衆の神遊びが写っている)。5月1日から本祭りに入り、5日にそのクライマックスを迎える。
本祭りには女シャーマンのムーダン(巫堂)と男シャーマンのバクス(巫覡)によってクッが展開し、そのなかで神遊びを演じる。心のこもった供養を受けた文戸長は村に無事息災と豊年をもたらす。この祭りには神と人との濃密な信頼関係がよく表出されている。
(キム・ヤンギ 比較文化学者)
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