チベットの怒り 胡錦濤のはがみ
14日、チベット・ラサで発生した大規模な暴動は、世界じゅうに波紋をひろげている。中国政府は一向に、現場の状況、事態の真相を明らかにしようとしていない。オリンピックを控え、胡錦濤政権はそれをしたくてもできないのか。
人権擁護グループのヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティは、死者10人とする中国側の発表に疑念を表明、独立機関の緊急なる調査が必要だと訴えた。
ライス米国務長官は15日、「ダライ・ラマ14世と対話すべきで、チベットの自由を尊重するように」と中国政府に呼びかけた。胡錦濤政府に応じる気配はない。最高人民検察院の孫謙副検察長は言う。「ダライ・ラマの集団がチベットの分裂を画策し、人民の平和な生活を破壊した」
「反国家分裂法」に向けたデモ
「暴動」は、独立を求める僧侶、市民の穏やかなデモが、警官隊によって暴力的に威圧されることで起こった。14日は、チベット独立を非合法化した「反国家分裂法」の採択された日(05年)に当たり、全人代も開かれていた。デモは敢えてこの日に向けられたのだろう。中国側の弾圧姿勢は、「独立」の声そのものを封殺しようとしたものだろう。
だが、これは誰が見てもおかしい。
1949年、中国は突然、ラサに軍事侵攻し、チベット民衆の累々たる屍の上に、「中華人民共和国チベット自治区」を押しつけた(1965年)。侵略以外の何物でもない。孫文は辛亥革命で、清朝からの中国独立を宣言した。その際、チベットもまた清朝からの独立を宣言した。中国とチベットは対等の立場で再出発した。
歴史的にチベットを犯した国は多い。イギリスまでも軍を進駐させたことがある。その間、チベットは非独立国であることを自ら認めたことは一度もない。「チベットは中国の領土」とする根拠はどこにもない。歴史の事実であり、世界の常識だ。
「チベットはチベット人のもの」
ドイツ連邦議会は02年4月、「チベットにおける人権と発展」を謳ったいわゆる「チベット決議」を採択し、「チベットの民族自決権」を世界に向けアピールした。
連邦議会議長のヴォルフガンク・ティールゼ氏が訪中したのは05年4月だった。この時、ティールゼ氏は中国から靖国問題などで日本に対する非難を求められ断った。中国が不快を示すと、こう述べた。「ある国家が他国に対して過去の罪を問う場合、最も優れた方法は、その国家が先に自分の過去を振り返り、その過去の苦痛を深く反省して見せることだ」
胡錦濤政府は世界の声に聞く耳持たぬという態度をとりつづけた。ソ連崩壊前、ゴルバチョフ大統領(当時)がバルト諸国に赴き、「エストニアはエストニアのもの」という叫びに耳を傾けたことが想起される。15日、在米中国大使館前では、「チベットはチベット人のもの」と泣き叫ぶ婦人がいた。胡錦濤国家主席はその声を聞いただろう。
胡氏は89年のラサ暴動時のチベット自治区共産党書記長だった。ラサ鎮圧を手柄にして出世の階段を上りつめた彼は今、北京オリンピックを前に、そのチベットに悩まされることになった。89年以来の大規模な「ラサ暴動」。チベットの怒りのほどがわかるし、中国共産党政府のはがみが見える。
(政治部 金采浩)
中国のチベット侵攻 1949年中華人民共和国の成立と同時に、中国人民解放軍はチベットのラサに侵攻した。59年ダライ・ラマ14世はインドに亡命。チベットは中国の完全な支配下に置かれた。文化大革命ではチベット仏教の総本山・古刹が破壊され、大量処刑・長期投獄・拷問などが行われ、中国政府は世界の批判を浴びたが、チベット人の宗教的、政治的自由はないままだ。
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