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2008年3月5日発行
 
わたしの徒然草 キム・ジンスのこと(3)
安宇植
 
 

戻ってきた男 
ストックホルム大学そこで何があったのか

 ベトナム戦争から脱走して日本経由でスウェーデンのストックホルムへ脱出して行ったはずの元アメリカ兵キム・ジンスが、ふたたび東京にやってきて連絡してきた先は、前回も触れたように東京にあったアジア・アフリカ・ラテンアメリカ作家会議日本委員会、略称A・A作家会議の事務所であった。作家や詩人もしくは評論家といった文学者でもなければ、外国文学の研究者でもない彼がなぜ、この団体の事務所へ連絡してきたのだろうか。

キム・ジンスも見た旧市街
 

 端的にいうとこの団体の会員の中に、それまで陰に陽にベ平連と関わりを持ってきた人たちが少なくなかったのである。当時の作家会議の事務局長だった作家の小中陽太郎にしても、ベ平連との関わりが深すぎてNHKを辞めざるを得なかったと噂されたくらい小田実と近いところにいたし、当時の作家会議を代表していた栗原幸夫などはむろん、表の組織であるベ平連ばかりでなく、裏の顔であった高橋武智のジャテックとも密接につながっていた。おまけに彼の場合は、慶応大学の先輩と後輩という関係であったばかりでなく、住まいまでが鎌倉と茅ヶ崎という近隣にあったので、個人的にも堀田善衛とはきわめて近い間柄であった。
 この原稿の第1回目に触れたように、キム・ジンスが当時のソビエト経由でストックホルムへ脱出するまでの一時期を、密かに堀田善衛宅に匿われていて図らずも連作小説『橋上幻想』の主人公になってしまったのも、この栗原の働きがあったからだろう。それくらい彼は、この間のキム・ジンスの行動をもっともよく知り得る立場にあったとわたしは睨んでいる。このほかに、いまではノンフィクション作家として活躍している吉岡忍などもべ平連を経由して、当時はまだ学生服姿であったが作家会議の事務所へ出入りしていたと記憶している。さらにいえば、わたしもその一員であった、当時の一橋大学教授でフランス文学者の海老坂武や、NHKのディレクターだった荒木重雄、和光大学教授だった美術評論の針生一郎ほか多くの作家会議の世話人たち、要するに運営委員たちの中にもべ平連とのつながりがあった人たちが少なくなかったのである。
 したがって、ふたたび東京へやってきたキム・ジンスが、多少なりとも頼りにできるとしたら、それはA・A作家会議であり、その代表である栗原幸夫と言うことになるだろう。
 そんなことから彼は栗原幸夫に連絡してきたのだろうけれど、元べ平連に属していた人たち、とりわけ彼をストックホルムへ送りだした栗原たちは、彼に対してなぜ冷淡だったのであろうか。いや、そのことに触れる前に、彼はなぜまたふたたび、東京に姿を現すようになったのだろうか。元脱走兵として、逮捕される危険はなかったのだろうか。
 それらのことに触れる前に、ソビエト経由で日本から脱出したキム・ジンスが、スウェーデンではどんな暮らしをしていたのかを見ておきたい。
 スウェーデンへ逃れた彼はほかの仲間たちとともに、いっときストックホルム大学に在籍したらしい。1980年代に入って間もなく、わたしはストックホルム大学でその事実を確認することができた。当時のわたしには、ストックホルムとウプサラつまりスウェーデンで4年ほど過ごす機会があったからだ。

キム・ジンスが歩いたストックホルム大のキャンパス
 

 ストックホルム大学の東洋語研究所の所長だったC教授から、ティーチングアシスタントとして招かれたのである。
 現在は定年退職後、夫人の母国フランスに在住しているはずだが、国籍上はスウェーデン人で中身は韓半島北部、咸鏡北道出身のC教授は、満州国派遣留学生として第一高等学校(一高)を経て東京帝国大学へ進学したが、大学在学中に8・15民族解放の日を迎えた。その後アメリカへ渡ったものの6・25動乱が勃発したため、反戦運動を始めてアメリカ政府から追放され、スウェーデンへ逃れたという異色の経歴の持ち主であった。
 一高・帝大時代の親しい同窓生に詩人の宗左近がいたようだが、スウェーデンでは「中国音韻学研究」「中国の文字」などを著したスウェーデンの世界的な言語学者で中国語学の進展に寄与したカールグレン(中国名は高本漢)に師事し、やがてストックホルム大学教授になった。けれども東洋語研究所の責任者としては、日本の歴史や文化に関する知識が乏しかったため、アシスタントを必要としていたのである。
 C教授はたまたまストックホルムを訪れた小田実とも会い、べ平連の運動に懐をはたいてカンパをしたと語っていたが、その彼にキム・ジンスのことを根ほり葉ほりすると、ほかのアメリカ人脱走兵たちと比べて勉強への意欲は認められなかったと語っていた。このことは、やはりストックホルム大学で知り合ったパク・ワジャ(和子?)さんの話からも確かめられた。パクさんはソウル大学を経てソルボンヌ大学で学び、ストックホルム大学へ来た女性で、ソウル大学では李御寧氏と同窓だったとのこと。その彼女もキム・ジンスに関しては、いつも日向ぼっこばかりしていて、影が薄かったと語ったのである。

アン・ウシク 桜美林大学名誉教授

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