| 少年の目に映った「英雄」 30年後の姿は・・・
「教室」から眺めた国と社会の風景、あるいは、小学生という小さな心に忍び寄る外界の気配と言っていい。少年時代から大人になるまで、30年の変化を子供の成長と共に見つめている。韓国映画によく見られるオーバーセンスはなく、今観ても新鮮で好感のもてる一作だ。
李承晩政権下の、ある地方の小学校で起きた小さな、しかし、子供にとってはずっと忘れることのできなかった出来事。原作は日本語にも翻訳されている李文烈の同名小説だ。
原作者の李は、関わる世界を多く持てない小学校を「閉ざされた空間」としている。監督のパク・ジョンウォンがその空間をさらに緊密な社会の縮図として、原作以上の緊迫感を伝えている。
映画は、絶対的な権力を持つ級長のオム・ソクテ(ホン・ギョンイン)と、ソクテに反抗し、やがて従うしかないと悟る転校生のハン・ビョンテ(コ・ジョンイル)のやり取りを中心に進んでいく。生徒も教師も学校中が、ソクテの意のままになるか、一目置いた。やがて、少年たちの前に正義の味方、金先生(チェ・ミンシク)が現れる。悪行を暴かれたソクテは、暴力手段も面子もなくし、学校を去る。
スクリーンには60年の4月革命の様子が映し出され、いやがおうにもソクテの“失脚”と李承晩の下野、金先生の正義と4月革命が重なる。
初めは誰もがソクテを「歪んだ英雄」として物語を読みとろうとする。だが、この映画は後半でその読みを覆す。30年前と現在(1992年)を対比する中で、歪んだ英雄とは誰なのかを深く考えさせるのだ。
ラストのクライマックスでのそのシーン。30年後のある日、小学校時代の恩師の葬式に出たビョンテの前に現れたのは、国会議員となりはてた(?)金先生であり、今でもどこかの街で顔役となっているのではないかと思わせるソクテの消息だった。金先生の議員バッジと、届けられる「オム・ソクテ」名の入った大きな花輪に目をやるビョンテの顔が歪む。
「歪んだ英雄」。それはいつどこでもいるものだと、ビョンテの表情とさりげない台詞が伝えてくれる。
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