| 「幼稚な民主主義の弊害」親北支持者
投票日の2日前だった。盧武鉉の熱心な支持者であるNGO活動家のKさん(42)は、マスコミへの怒りをぶちまけた。
「盧武鉉大統領は一生懸命なのに、大手紙は、大統領の失敗だけを取り上げて世論操作を行った。新聞も守旧派だ」
横にいたインターネット新聞記者のCさん(39)も頷いて言う。
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当選後、支持者と抱き合う李明博氏(12月20日=写真・聯合) |
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「大変な業績を残したのに、親北派というだけで、奴らはまるで売国奴のように大統領を扱った。親北派だとしよう。どこが悪いのだ。マスコミは韓国の幼稚な民主主義の弊害だ」
2人はしかし、彼らのいう守旧派の李明博が選挙で圧勝した後も、それが民意であったと認めることはなかった。
李明博は、大統領選レースで最後まで高支持率を維持し、支持率2位の鄭東泳をほとんどダブルスコアで破って勝利した。得票率の差22.5ポイントという大差での勝利は、87年の大統領直接選挙制導入以来、異例の出来事と言えた。
親北派が勝利した過去2回の大統領選挙では、投票日直前までトップを走っていた候補が敗れる波乱が続いた。
韓国の国民は、大統領選挙の「勝利の方程式」は3つあるという。
1つは、不可解にも、立候補の時期を遅らせることだという。公式出馬表明も党内予備選も、遅いほうがいいというのだ。
「劇場型の政治」を好む韓国の有権者たちは、「ヒーローは最後に現れる」と信じ込んでいるのではないだろうか。根拠はないが、ほかに説明しようがない。
第2の方程式は、「改革」をキャッチフレーズにすることだという。これは日本も同じで、それだけで有権者の反応は違ってくる。
最後の方程式は、選挙戦終盤で「強力なライバル」と候補一本化をすることだ。
1998年の選挙で勝利した金大中は、理念も路線も違う金鍾泌と手を組んだ。彼は、議員内閣制への移行を訴えたが、失敗に終わった。金大中が大統領になっても、まともに議論されることはなかった。
2002年の盧武鉉は3つの方程式すべてを使った。選挙終盤、自分より支持率の高かった候補者鄭夢準に「世論調査で勝ったほうに一本化する」という“賭け”をし、そしてこれに勝った。
比較的認知度の低かった当時の盧武鉉は、政治家としての「新鮮さ」、近所のおじさんのような「親近感」、大物政治家に欠けていた「覇気」などを武器に支持率を伸ばした。鄭夢準との一本化は、盧武鉉を大統領の椅子に座らせる最後の一押しとなった。
盧武鉉の2002年は、支持率3%から始まり得票率48%で終わった。奇蹟的な逆転だった。
過去2回の大統領選の再現を狙った親北派は、今回も強気だった。党の支持率が最低を記録したころですら「大統領選は最後まで誰が笑うか分からない」と主張した。
ところが、勝利の方程式は、今回の大統領選ではまったく通じなかった。親北派は1年間、李明博にネガティブキャンペーンを行ってきたが、李明博の支持率はやや下がっただけだった。
自らを「平和改革勢力」と呼ぶ親北派は、保守政党とその候補を「守旧派だ」と非難したが、国民の反応は冷淡だった。世論調査では60%が「李明博の道徳性は信じられない」と回答したが、李明博の支持率1位は揺らぐことはなかった。
今回の選挙で「勝利の方程式」が当てはまらなかったのはなぜか。
選挙戦では、金大中、盧武鉉と続いた親北政権の失政を「失われた10年」と表現した。この言葉は国民に広く受け入れられた。
ニューライト運動の市民団体「先進化財団」の事務総長・徐京錫は声を大にして言う。
「親北派を一掃するという国民の意志は固かった。親北派がいくら工作を試みても、効果はなかった」
確かに、国民の審判は厳しかった。親北派は青瓦台からシャットアウトされた。
(ソウル・李民皓)
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