フレキシキュリティ論争
EUではフレキシキュリティ論争が展開されている。EU、27の加盟国、社会的パートナー(経営者団体、労組)を巻き込む論争の仕掛け人は欧州委員会である。フレキシキュリティは日本ではまだなじみの少ない用語だが、フレキシビリティ(柔軟性)とセキュリティ(保障)を結合させた造語であって、労働市場の柔軟性(解雇規制の緩和)と所得・雇用保障とは対立的ではなく相互促進的であるというのが基本的な考え方である。欧州委員会は07年6月に「フレキシキュリティ共通原則」を欧州雇用戦略の新しい原則として提案し、この共通原則は12月上旬の欧州閣僚理事会で承認された。
雇用と競争に新方式
欧州委員会は、共通目標(雇用率の上昇、労働生産性の改善、格差是正の促進)はEUレベルで定めるが、目標達成のための手段の選択(雇用政策)は加盟国に任せるという従来の欧州雇用戦略が高い失業率(ドイツ、フランス)や増加する非正規雇用(イギリス、スペイン、イタリア)にみられるような労働市場の構造的歪みをいっこうに解決していない現状を反省して、フレキシキュリティという共通原則に従って加盟国が共通目標を追求するように提案したのである。08年からの欧州雇用政策はこの新しい方式にしたがって雇用と競争の強化をめざすことになる。
フレキシキュリティ共通原則は8つの原則から成っているが、とりわけ重要なのは第一原則の「雇用と成長のための戦略」を強化するための4要素、すなわち、(1)柔軟で信頼できる雇用契約、(2)雇用可能性を高める包括的生涯学習戦略、(3)失業から新しい職への移動を促進する積極的労働市場政策(技能訓練プログラムへの参加)、(4)所得支援・雇用促進・労働市場の流動性を連携させる現代的社会保障制度である。
対照的に、欧州労働同盟は、フレキシキュリティ戦略の意図は企業による解雇の自由の拡大と雇用保障の解消であると考え、非正規雇用の拡大を強く警戒している。欧州経営者連盟は柔軟な労働法(解雇規制の緩和)を求める立場から、欧州委員会案を支持している。議論の争点は、柔軟性と保障は本当に対立的ではなくて相互促進的かに関連している。
欧州委員会4つのアプローチ
欧州委員会は、労働側からの批判に答えるために、フレキシキュリティの4つのアプローチを提案する。第1のアプローチは、労働市場の分断に直面する南欧諸国(スペイン、イタリア)を対象とするもので、規制緩和によって急増した非正規雇用を労働法の改正によって正規雇用化することが提案される。第2のアプローチは、労働市場が硬直的で長期失業者が多い諸国(ドイツ、オーストリア)を対象とするもので、企業内のフレキシキュリティ(柔軟な技能の養成)を発展させることで職の移動保障を促進することが提案される。第3のアプローチは、低技能労働者が多く貧困率の高い諸国(イギリス、アイルランド)を対象とするもので人的資源への投資拡大によって技能格差の解消に取り組むことが提案される。第4のアプローチは東欧諸国を対象とするもので雇用機会の拡大と福祉依存体質からの脱却をめざす労働市場政策が提案される。
EU加盟国は国内における労使の交渉を通じてどのようなフレキシキュリティ戦略を作り上げるだろうか。われわれは欧州雇用戦略の新展開から眼を離せない。
(関西大学教授 若森章孝)
フレキシキュリティ(flexicurity) 労働市場の柔軟性(解雇規制の緩和)と雇用・所得の保障を組み合わせ、職の移動、雇用保障、社会福祉を両立させる政策理念。労使交渉の伝統があるオランダとデンマークの経験から生まれた。 |