統一日報 ログインはこちら
ホームNEWS情報NETWORKデータベース
トピックス政治経済社説社会文化特集
2007年1月1日発行版
 
文学遊歩道  わたしの徒然草 
安宇植
 
 

キム・ジンスのこと(1)
ベ平連にかくまわれた韓国系アメリカ人


 先ごろ作家の小田実が世を去った。1956年にアメリカ各地からさらに世界各地を旅して、その紀行ともいうべき『何でも見てやろう』を出版して広くその名が知られていた彼が、さらに多くの人々からその存在を知られたのが、1960年の安保反対闘争に継ぐ市民運動として、安保反対闘争から5年後の1965年に組織されたベトナム反戦運動、正確には「ベトナムに平和を!市民連合」略称「ベ平連」の「顔」の一人となったことだろう。ところが、そのべ平連という団体が、市民運動という表向きの顔のほかに、もう一つの顔を持っていたことはあまり知られていない。

毎週土曜日の夕方、新宿西口広場ではべ平連の若者を中心に反戦歌を歌う集会が開かれていた(1969年5月24日)写真提供=共同通信社
 

 今まで事実を伏せてきた。やっと封印を解いた。ほぼ40年たって―。
 ベトナム戦争のさなか、戦場に行きたくないという若いアメリカ軍兵士が、日本で次々に脱走した。手助けしたのは「ジャテック(反戦脱走米兵援助日本技術委員会)」。


 去る12月9日付『東京新聞』(朝刊)の社会面トップに、「大人にだまされるな―目指したのは反戦米兵の脱走手助け」と題した記事が載っていた。先に引用したそれは、この記事の書きだしの部分で、この書きだしからさらに記事は、「(べ平連)から派生した、いわゆる裏の組織。高橋武智さんはその責任者だった」と続いている。高橋さんも「小田(実)さんが表の舞台なら私は黒子、表と裏があるのは市民社会の厚み。欧州はその厚みが本当に深い。日本はまだまだだが、ジャテックはその萌芽にはなったのでは」と語っている。

 わたしが1980年代半ばに初めて会ったキム・ジンスも、かつてはこのジャテックの助けを借りてベトナム戦争から脱走し、スウェーデンのストックホルムへ逃れた元「脱走兵」の一人であった。けれども彼と出会う80年代よりも前に、つまり彼がひょっこりと日本へ旅してくる前から、わたしはある小説をとおして彼とおぼしい人物に関する予備知識をもっていた。その小説というのは、1960年代後半に書かれた堀田善衛の連作『橋上幻想』である。
 繰り返すようだが、この小説の主人公キム・ジンスはベトナム戦争に送り込まれたアメリカ兵の一人で、ジャテックをとおして作家堀田善衛の家に匿われていた。むろん日本からストックホルムへ脱出するまでの、一時的な避難であったろう。彼が堀田善衛の家にかくまわれた経緯については、高橋さんが記者に語った前記『東京新聞』の次の記事からも想像できる。

アン・ウシク
 1932年生まれ。早稲田大学文学部中退。朝鮮近現代文学、朝鮮精神史専攻。新潟産業大学教授をへて、桜美林大学教授に。現桜美林大学名誉教授。著書に『天皇制と朝鮮人』(三一書房)『評伝金史良』(草風館)、訳書に『離れ部屋』(集英社)『南部軍―知られざる朝鮮戦争』(平凡社)『皇帝のために』(講談社)など多数。
 

 67年秋に活動を始めたジャテックは、約1年間で17人の脱走米兵を密出国させていた。北海道・釧路港からソ連経由で中立国スウェーデンに向かわせた。ところが68年11月、脱走兵が逮捕され、ソ連が手を引いた。やむなく国内でかくまうことが第一の役割となり、(高橋さんは)責任者となった。

 アメリカ国籍の、したがってアメリカ兵であったキム・ジンスはしかし、1950年代の初めまでは韓国人であり、しかも幼児であった。その韓国人の幼児が韓国動乱のさなかに、アメリカ人に養子としてもらわれていって、韓国風に言えばいわゆる「入養児」となったのである。韓国動乱の折には、アメリカばかりでなくいわゆる国連軍を構成したいくつもの国々へもらわれていった韓国人「入養児」が少なくなかったが、キム・ジンスもそうした一人で、その「入養児」が成長してアメリカ兵となり、ベトナム戦争に派遣されていたのである。こうして、やがて高橋さんたちのジャテックの助けでスウェーデンへ逃れたわけだが、それまで堀田家にかくまわれている間の彼のことが、『橋上幻想』に描かれていたのである。
 では、堀田家にかくまわれたキム・ジンスはどのようにして、ストックホルムに向かうまでの日々を過ごしたのだろうか。端的に言えばそれは、堀田善衛夫人とのバトルの日々というべきものであった。そしてそれは、十分にあり得ることであった。一方は幼児期にアメリカ人の「入養児」となり、どのような養父母のもとで養育されたにせよ、衣食住を含めてあらゆる面でアメリカ的美意識やアメリカ的味覚、つまりは価値観を叩き込まれて成長したことだけは確かであった。
 ところが堀田家は、脱走兵をかくまったのである。仮にその脱走兵が逮捕されたら、責任問題もさることながら、作家堀田善衛にとって大きなスキャンダルになりかねなかった。そのため夫人がキム・ジンスのあらゆる行動に神経を尖らせたであろうことは、想像に難くない。バトルはそこから生まれた。美しいはずの橋の上からの眺めが幻想であったという『橋上幻想』はかくして生まれた。

 
 
 
 
当社は特定宗教団体とは一切関係ありません
Copyright 2008 onekoreanews.net All Right Reserved.
会社案内  個人情報  著作権  お問合せ