真実歪曲に沈黙する軍部
趙甲濟 深層取材
デモ隊が装甲車やバスを駆って突進し、これが空挺隊の発砲するきっかけとなった。映画にはしかし、そのような場面は出てこない。
映画は発砲に至る彼我の関係を捨象してクライマックスを準備する。全南道庁を守る空挺隊が、愛国歌(韓国国歌)を歌う市民たちに向けて一斉射撃をするという場面、それだけだ。バタバタとデモ隊が倒れる。ナチスのユダヤ人集団虐殺を思わせるようなシーンだ。
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観客の目には、空挺隊が殺人集団にしか映らないに違いなく、観客は、この場面を長く記憶にとどめるだろう。映画製作者たちの狙い通りに。
映画を見終わった後、安富雄元大佐に感想を聞いた。
「(映画を見ている間)被告人席に座っているような気がしたのでは」
「まったくマンガです。あのような発砲命令を下したなら、私は無事でいられるわけがない。市民たちは愛国歌を歌っていた。そんな状況でもし、発砲命令を出したとしても、隊員たちは従わなかったでしょう。隊員の中には湖南(全羅道)出身も多かった。
それと、映画ではなぜ『金大中を釈放せよ』とか、『崔圭夏(当時大統領)は退け』といったシュプレヒコールを描写しなかったのか。軍は映画の制作に装備などを提供したようだが、そのことになぜ沈黙しているのか。空挺部隊が“殺人鬼”として描かれているのに」
翌日国防部に問い合わせたところ、軍が映画制作に装備を提供した事実はないという。だが、映画会社に、事実の歪曲に対する抗議もしていないという。この映画は導入部で「事実に基づいている」と断っている。一斉射撃の場面は、事実を歪曲するというレベルでは済まない。途方もない捏造だ。「事実に基づいた映画化」ではなく、「事実にない内容を映画化」したものだった。
映画では、空挺隊が発砲命令を受け、一斉に弾倉をM―16小銃に装填する。そうして発砲姿勢を取った兵士たちが、愛国歌を歌う市民に向け、警告もなく一斉射撃をする。
その日の全南道庁の前では、警告なしの発砲もなければ、発砲命令を下した人物も存在しなかった。
光州事態を最も精査した1995年のソウル地検と国防部の検察部も、発砲命令はなかったという結論を下している。
次に、空挺隊の発砲は、デモ隊が軍から奪った装甲車を使って突進し、空挺部隊員をひき殺した事故がきっかけであったことが、検察の調べで明らかになっている。検察は、空挺隊の発砲の原因を自衛的、条件反射的な対応だったとしている。また、実弾は空挺部隊の中隊長に15発ずつ支給されただけで、一般兵にはほとんど支給されていなかった。
愛国歌を歌う市民に向け空挺部隊が一斉射撃する場面は、空挺部隊が大韓民国に対して発砲するようなニュアンスを持つ。映画を観た人々は、空挺隊に対し“叛軍”という印象を持ったはずだ。
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