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2007年11月7日発行版 |
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『華麗なる休暇』の華麗なる捏造−軍は沈黙 −3−
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兵士を野獣とみなす映画の本意は?
趙甲濟 深層取材
翌月曜日の午後、私は元空挺隊大佐の安富雄氏ともう一度映画館に足を向け、それを観ることになった。
空挺部隊を悪の化身であるがごとく周到に演出された映画。兵士たちは殺人マシーンとしか映らなかった。逆に、空挺部隊と対峙した光州市民側の登場人物たちは、どう見ても「至高・至善の英雄」でしかない。意図的な設定だが、その意図はあまりに露骨すぎてまともな神経では感動が起こりようもない。
たとえば、空挺部隊が棒で市民を殴打する音。音楽のようにスクリーンに響き渡る。だが、肝心な点がない。空挺部隊が、なぜこうした鎮圧に出たのかということについてだ。説明不足なのか。歪曲なのか。
光州事態直後、戒厳司令部が発表した検視報告書がある。165人の死者のうち、18人が打撲傷、4人が刺傷で死んだとなっている。空挺部隊が鎭圧のため棒でデモ隊を殺害したということだ。
映画は、白昼、通りに押し寄せた群衆に空挺隊員が襲いかかり、市民を撲殺する描写に力を入れる。そして、デモに加わっていなかった市民たちまでもが、そうした光景を目の当たりにして怒りを覚え、石や火炎瓶を投げるに至る。群衆は、やがてトラックや、タクシー、バス、挙句の果てには装甲車まで駆って空挺隊に迫る。デモ隊は、空挺部隊が発砲を始める5月21日頃には、予備隊の武器庫などを襲い、武器を手に取り、カービン銃、機関銃、手榴弾などで武装し、軍と銃撃戦を行うことになる。
「華麗なる休暇」は、万事、こうした描写で進行する。制作者の観点が如実に表れていた。
映画の中の空挺隊員たちは、野獣、いや、機械のように見える。野獣なら感情もあるだろうが、映画に出てくる空挺部隊員たちからは、感情や人間的反応がほとんど見えてこない。
空挺部隊が興奮して市民を棒で襲うに至った背景には、空挺部隊の持つ特権意識はあっただろうが、それに加え「戒厳令下の民間人が、なぜ、恐れることもなく軍人に向かって投石をするのか」という驚きと恐怖の感情が底にあった。
安氏は「釜馬事態(79年10月16日、釜山で起きた民主化要求運動)のように、空挺部隊が現れるだけでデモは自動的に終わると思っていた。市民が軍人に対抗するということは想像できなかった。そのためデモ隊鎮圧のための装備を準備できなかった」と明かした。
投石を続ける大規模なデモ隊に撃ちこむ催涙弾を持っていかず、投石から身を守る盾もなかった。頭を保護する防石網は、軍の輸送部隊が作った粗末なものしかなかった。
映画には、市民を追って路地に入ってきた空挺隊員を、市民が撃ち殺す場面が出てくる。元空挺隊将校だった市民が、ビルの屋上から空挺部隊に向けて機関銃を乱射する場面もある。かれは、市民に機関銃の撃ち方を教える。トラックで武器庫に突っ込み、武器を奪う場面も臨場感にあふれている。
観客は、このようなシーンを見ても「こんなことしていいのか」という問題意識は生じないだろう。映画は、空挺部隊を「悪」、市民を「正義」として描くことにまんまと成功しているのだから。 |
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