| 帰郷 長い旅の始まりになった
「幸せを授ける白い神と不幸をもたらす黒い神が、朝鮮王朝時代人間界に天降って翁(おきな)と 媼(おうな)に に変身を遂げた」という仮説を発表してから30年が過ぎてゆく。
 |
|
|
右:黒色尉(早稲田大学演劇博物館提供)
左:山台仮面−ミヤル媼(木)(ソウル大学付属博物館蔵) |
|
| |
|
 |
|
右:白色尉(早稲田大学演劇博物館提供)
左:山台仮面−シンハラビ(木)(ソウル大学付属博物館蔵) |
|
| |
|
その仮説を生むきっかけは単純で、タルチュムノリ(仮面劇)に使われてきた河回別神クッのハルミ(媼)の仮面を撮っているときであった。河回タルは仮面として国宝に指定されている唯一の仮面で木彫である。茶褐色をベースにしたタルのなかで、黒っぽい小振りのハルミ(媼)タルが目に止まったのが事の始まりである。
その後ソウル大学博物館所蔵の古い山台仮面のハルミ、そして楊州別山台劇や鳳山仮面劇のハルミのタルがみな黒いことに気づく。なぜハルミだけが黒いのかと著名な文化人類学者である李杜鉉ソウル大学教授に聞いてみると、「苦労したからだろう」という答えが返ってきた。
説明に納得が行かなかったわたしの謎解きは、そのときから始まる。
その後、日本の能や神楽で舞われる神聖な仮面舞で、翁が白く、三番叟が黒いのを発見した。わたしにとってはまさに発見であったが、黒い仮面の三番叟は媼でなく翁つまり男性の老人であり、韓国のハルミは老女という性別の違いがあり、しかも三番叟は死なず、翁と同じように幸を授ける同格の神であった。
その謎を解くのに、10数年がたったある日、シベリアに白いシャーマンと黒いシャーマンがいて、両者が激しく戦い、最後に白シャーマンが勝つという論文に出あう。こういう視点や発想がどこから生まれるのかとよく聞かれるが、一言で言えば祖国と定住国の2つの文化を共有している空間から発現しているように思える。わたしの比較文化論はそこから発現していることは間違いない。祖国との出あいから白と黒の2神の仮説が生まれたので、少し横道にそれるがわたしと祖国との出あいに触れておきたい。
ときは1964年の春である。わたしはソウルのソラボール芸術大学に招かれて初めて祖国の大地を踏んだ。折しも韓日基本条約締結に反対する学生デモが起こり、朴正熙将軍の率いる政権が戒厳令を布いた。
わたしはソウルへ行く前に本籍地、つまり父母の故郷である慶尚南道宜寧郡にある先山(一族の墓)に詣でて帰国の挨拶をすることにした。そのために九州の小倉港から800トンのアリラン号に乗ってひどい船酔いに見舞われながら夜明けに釜山港に着いた。
朝靄のなかに龍頭山が浮かび、行き交う水先案内の小舟から歓迎の声が響いた。手を振ってそれに応えたとき、声はかすれ両眼から大粒の涙が吹き出すように流れ落ちた。それが祖国との最初の出あいであった。
日本で生まれたわたしは、幼いときに母と2人で一時故郷に帰っていたが、それは植民地時代のことであり大韓民国という国は樹立の兆しさえなかった。
通関手続きを済ませて韓国の大地を踏んで周辺を見回したが、恐れていた戒厳令の雰囲気はまったく感じなかった。そのとき韓国語の氾濫する世界が迫ってきた。わたしにとってそれは異国であったが、韓国語が騒々しく響き渡る人混みのなかで無性に懐かしさがこみ上げてきた。幼いころの郷愁が蘇ったのかも知れない。それは理屈を越えた、祖国との初対面であった。
故郷へは、いまなら釜山から2時間ほどで行けるが当時は4時間ほどかかった。
故郷は、韓国軍と人民軍が大激戦を展開し、人民軍が進撃した最南端のエリアであった。両軍は、宜寧郡と咸安郡との境を流れる晋州南江を挟んで死闘をくりかえし、韓国軍は人民軍の川越を防いだのであった。川面を眺める私の脳裏に幼いころ水浴びをした懐かしさと、同族が流した血で染まった光景が重なり、平和の尊さが身に迫り、鳥肌がたった。
再会を喜び合った従兄弟たちに別れを告げ、ソウル駅に着くと武装した兵隊が点在し、戒厳令を実感した。
大学はすべて休講になっていたので、わたしはソウルの故宮や伝統的な町並みの散策に勤しんだ。
そしてカメラを持って博物館や仮面劇を伝承している村を訪ねて撮り歩く日々が続いた。わたしは日本から持って行ったコダックやエクタークロームのフィルムを使ってカラースライドを撮りまくった。
李杜鉉教授の計らいで博物館やタルチュムノリを伝承する村とそのグループを訪ねてタルの写真を撮り歩いた。ソウル国立中央博物館で河回仮面の写真を撮っているとき、媼のタルの黒が目にとまり、タルチュムノリのほかの媼の黒い仮面へと関心が広がっていったのである。
神である日本の翁と三番叟から韓国の翁の白と媼の黒につながり、翁を白い神に媼を黒い神に見立ててゆく。鳳山タルチュムノリのせりふにあるように翁と媼は村の入り口で守護神として祀られていたことから、その前身が神であることが分かってきた。この2神はもとから韓国にいた在来神なのか、それとも外から訪れた外来の神なのであろうか。
翁と媼が夫婦であることから両者は一対、ペアーを組んでいることが分かったが、その理由が解けなかった。そのころたまたまウエーエム・ミハイロウフスキーの『シベリヤ、満豪及び欧露の異民族間におけるシャーマン教』(高橋勝訳)のページをめくっていると、シベリアのブリヤート族には善霊(善神)と交流する白シャーマンと悪霊(邪神)と交流している黒シャーマンがいて、両者は相手を倒すまで戦うというくだりが目に飛び込んできた。おもわず、翁と媼は白と黒のシャーマンの変容だとわたしは呟いていた。
白シャーマンは幸せを授ける善なる神であり、黒シャーマンは不幸をもたらす神であり、2神は力の限りを尽くして戦い合う。その神事が翁と媼の原点なのである。それはシベリアを越えてスラブ民族の神話にも登場していた。
|