体制の維持図る北朝鮮の核
金正日と盧武鉉の南北首脳会談で、金正日は改革・開放に強い拒否感を示したという。理由は、それをしては「体制維持」に支障を来すということにほかならない。核開発を続けながら、米国に何度も「体制保障」を求め続けたことからもそれははっきりしている。
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| 米朝関係が変化し始めたのは核実験後からだった |
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自国民を飢餓から解放することよりも体制維持を優先するという考えなのだろう。核武装も体制維持のためであることはもう誰の目にも明らかだった。
インドは違った。改革・開放の一環として米国との核協定に臨んだのは確かだった。北朝鮮とインドは共に核開発を「自衛手段」と言うが、この2国の核開発の目的の違いは際だっていた。
ようするに、米国にとって、米印核交渉の経験を北朝鮮に当てはめることは不可能だった。それは、世界で最も孤立した独裁国家との取引が危険であるという側面と、北朝鮮がインドのような魅力的な原発市場となり得ないという側面からだ。
だが、北朝鮮はインド並みに扱ってもらいたいと米国に食い下がった。
米国が最初にインドとの「核協定」に合意したのは06年3月だった。北朝鮮が核実験を行ったのが、その7カ月後であるのはまったくの偶然ではないだろう。その間、北朝鮮とパキスタンの核協力体制も明らかになっている。核実験を保障する環境が整ったと、金正日が判断を下しても不思議はない。米国の高官たちの間で、「核兵器の開発をインドには認め、北朝鮮、イランには認めないという外交上の不整合を露呈させた」と米印核協定に対する批判が渦巻いていた。北朝鮮がそうした米国内の声を見逃すはずもない。
結論から言えば、金正日の読みは当たったと言える。現に、米朝関係が劇的に変化し始めたのは核実験後からだった。ブッシュ政権は北朝鮮の核に真剣に怯えたと言われる。これこそが、米国がインドの核と北朝鮮の核を明確に区別する理由だったのかもしれない。
ブッシュが大統領に就任して1年8カ月後の02年9月、ホワイトハウスは『国家安全保障戦略』をまとめた。ここには「アジアでの大量破壊兵器を持つ懸念国への対応」という項目が設けられ、北朝鮮に対しては「彼らはいつ合衆国に向けて(核爆弾を)発射するかわからない」と指摘している。ブッシュ政権は、就任当初から、北朝鮮の核・ミサイルが米本土を狙うものとして開発されてきたということを見据えていた。
07年が明けて、米国が最も神経を使ったのは、北朝鮮とイラン、北朝鮮とシリアとの核協力だった。つまり、核拡散だった。ワシントンの外交筋によれば、ブッシュ政権は北朝鮮―イラン―シリアによって核包囲の脅威にさらされていると本気で思ったようだ。
北朝鮮に核廃棄を求めることが現実的なのか、限定的核保有を認めて、核拡散の道を塞ぐべきか。6カ国協議に臨む米国の姿勢は明らかに転換していったと言われる。
今年4月、民間シンクタンク・全米外交政策会議議長シュワプは、「北朝鮮の核保有を認め国交正常化へと進んだほうが安全だ」と主張し、そうした意見がワシントンに渦巻いていることを明らかにした。
「いくつかしか核兵器を持っていない今の北朝鮮を受け入れるほうが、今後、北朝鮮にもっと多くの核兵器を持たせるよりましだ」
先の6カ国協議で、米国は、北朝鮮をテロ支援国家リストから除外する方針を示した。リストから除外する問題は、6カ国協議の懸案事項ではなかったにもかかわらず、米国はこの問題に踏み込んだ。これは、国交正常化への地ならしとだとワシントンの朝鮮半島外交筋は見ている。
あと米国がやるべきことは、北朝鮮に核放棄の体裁をどう取り繕わせるかだろう。これが、南アとも、インドとも、リビアとも異なる米国の選択になる可能性は高い。NPT体制の崩壊は速まっている。
(編集委員・梁基述)
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