| ■山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波」部門参加作品
再開発に抗い ホームレスたちの物語
ソウルの真ん中に清渓川という都会には似つかわしくない美しい名前の川がある。韓国語読みではチョンゲチョンという。
すでにご存知の方も多いと思うが、現在この川は人工の流れである。
かつては首都の川として長らく人々に親しまれてきたが、下水が流れ込み悪臭を放つようになると、他の都市同様に暗きょ化された。同時にその上を高架道路が走り、洗濯風景も見られたというのどかな川辺は一変してしまうのである。
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再開発でとり壊されるアパートを占拠した「共同ハウス」の住民たち。同じホームレスへの炊き出しを続ける |
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どこかで見たような光景。そう、東京オリンピックで建設された高速道路にふたをされた格好で輝きを失った日本橋とそっくりである。
しかしソウルのすごいところは、その後の変貌が東京以上に激しく、次から次へまるで蝶のように羽化し続けていることであろうか。
朝鮮戦争で川の周囲に流れ着いた難民たちは川の暗きょ化と時を同じくして形成された電気や繊維の問屋街に駆逐される。
ところがその問屋街すらも高架道路の老朽化に伴う撤去及びそれと並行する清渓川の復元事業で引越しを余儀なくされるのである。移転は問屋街だけではなかった。朴正熙大統領時代に高架道路沿いに建てられたアパート群も再開発の名の下に取り壊されるのである。
前置きが長くなったが、今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波」部門で上映された「192―399 ある共同ハウスのお話」(イ・ヒョンジョン監督)は、その空き家アパートの一つを“不法占拠”したホームレスの物語である。
城北ソンブク区の取り壊しが決まっているアパートにある晩、ホームレスの人たちが移り住む。
様々な形の石を敷き詰め、その上にシートをかぶせ、ぞうきんでふいて立派な住居が完成する。
明け渡しを求める市側に対し、論理に長けたリーダーは次々に方針を打ち出し居座りを仲間に説く。それについていけない人たちと少しずつズレが出てくる。時にはののしり合いのけんかも起きる。
収入はリーダーからの差し入れと露天での衣類販売がすべてだから食べていくのが精一杯。
しかし同じホームレスへの定例の炊き出しはどんなに苦しくても続けていく。希望があるわけではない。しかしともかく生き続け、人に頼られ、人間としての尊厳を保ち続けることがどれだけ大事であるかを、観客に考えさせるのである。
若い男女もいるが、メンバーの大半はオヤジたちだ。飲んで、食べて、タバコを吸って、そして堂々巡りの議論を繰り返す。そんな彼らにカメラはまるで仲間の一人のように自然に寄り添っていく。
映画の完成後、監督が連絡をとれたのはリーダー格の一人だけ。上映後のティーチインで監督が後日談を紹介する。
3度も見たというそのリーダーは、最初に見たときは自分の姿に非常に満足した様子だったが、3回目の時は「俺はこんなにきついことを話したのか」とやや反省気味の感想を述べたという。
05年10月に30年ぶりに復活した清渓川。完成後の3日間に15万人が訪れ、その後も都心にあるこの川を散歩する人は後を絶たない。約6キロの道のりは滝や噴水、壁画スポットなどがあり、市民の憩いの場として親しまれている。
しかし、この周囲から追い出された人たちのことに思いを馳せる人はどれだけいるだろうか。
巨大な胃袋のように人や建物を飲み込んでは吐き出し変転を続けるソウル。都市のダイナミズムに巻き込まれながらも生き続ける人々の一瞬を「192―399 ある共同ハウスのお話」は描いたと言えるだろう。
(アジア映画ウオッチャー・紀平重成)
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