| 神田の奥行き 佇む中国書店
神田は職人の町だ。神田駅の東側には神田紺屋町、神田乗物町、鍛冶町といった町が広がる。江戸時代、紺屋町には紺屋、鍛冶町には鍛冶職人が住んでいたからだ。両側町という江戸時代の町割りが、一部に残っている。
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店長の三明妙子さん。中国語を習ったことが入店のきっかけに。最近は中国のファッション雑誌を求める客が増えているという |
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両側町は、通りを中心に、その両側の家々が一つの「町」になっている。通りに囲まれたブロックを「町」と呼ぶことに慣れている者にとって、少々わかりづらい。
「神田でも町を統合して、わかりやすい地名に変えようという動きがあった。この近所では、それに反対する人が結構いた」と、3代続く八百屋の主人は言う。
バブル期に押し寄せた再開発の波。神田界隈は地元住民がなかなか立ち退かないことで有名だったという。そうこうするうちにバブル崩壊。
青くさびた銅ぶき家屋の喫茶店や、大正期を髣髴とさせる石壁の建物が、今もビルの隙間に残っている。どれも頑固そうな面構えだ。
神田警察通りを進み、美土代町の交差点を渡ると、右側に小さな本屋が現れる。中国関連の書物を専門に扱う「亜東書店」だ。
亜東書店が現在の場所に店を構えたのは1971年。日中国交正常化などもあり、中国が注目されはじめた頃だった。
亜東書店は、中国などから輸入した原書が8割以上を占める。上野にある本社は、中国語書籍の通信販売も行っている。神田のほか、名古屋に支店を持つほどの規模だ。
店内を見回すと、漢方や中国の少数民族に関する書物が多い。
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中国から輸入した原書が在庫の8割を占める |
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店長の三明妙子さんは、「漢方関連の本は、おそらく都内では一番の品揃え。チベット、モンゴルといった少数民族関連の本も都内有数の冊数を揃えている」と言う。
三明さんが亜東書店で働きはじめたのは、以前勤めていた職場の近くで中国語教室が開かれ、そこで亜東書店の求人を見て応募したことがきっかけになった。店長になったのは2001年のことだ。
三明さんが中国語を学ぼうと思った動機は「やっていたほうがいいと思ったから」という単純なものだったが、店頭に立つと、専門知識を持った顧客が多いことに驚いた。
「学識のある方が多いので、勉強になる」と三明さんは言う。自身も勉強が必要だと感じることは少なくなかった。
三明さんは現在、放送大学で中国の思想や哲学を学んでいる。中国だけでなく、中央アジアの勉強もした。専門書を探す客からの問い合わせに完璧に答えられることは少ないというが、「自分の頭の中で『ああ、あのことか』と、ピンとくることは多くなった」という。
三明さんは、最新のトレンドが、本の売れ筋から見えてくるという。
中国市場の調査のためか、中国のファッション雑誌を買う人が最近増えている。漢方医学の本でも、「漢方でこころの病を治す」という内容の本が売り上げを伸ばしているという。太極拳や中国武術のDVDが売れはじめたのも最近のことだ。
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大正・昭和の面影が今も残る |
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インタビュー後、三明さんの写真を撮らせてもらうことになった。「うちは入り口がわかりづらいといわれるので、入り口の近くで撮ってもらえますか」と、三明さん。活字離れが進んでいるといわれる昨今、亜東書店も客離れを感じている。カメラを構えて待っている記者をよそ目に、鏡の前で身づくろいに時間をかける姿が印象的だった。
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