| 豚と猪(2) 猪の供出 村人の生活圧迫
前回は、猪肉を準備するよう、並々ならぬ手配を、通信使の通る沿道各藩および幕府の直轄領の代官所にしていたことを取り上げた。
猪の肉の保存にも腐心している。
伊奈の飯島代官役所から指達した猪肉の塩漬法を見てみよう。
肉付きの良い4足の部分を爪から5〜6寸上まで切り取り、猪の肉であることの証として毛皮を残す。その他の部分は皮をはぎ、骨付きのまま塩をよく浸みこませる。
一桶に1頭分の足を4本漬け込んで蓋をする。腐らせないように注意し、翌年の春に三河岡崎に運ばせる。
塩漬猪の肉をどのように調理し、食膳にのせたかの記録はないが、「4豚と猪(1)」の指示のように塩ゆでにしたのかもしれない。
通信使の接待料理のために1年前から大いなるエネルギーを傾注して準備した。とりわけ猪、鹿を確保するのに多くの時間と人数を割いた。
その裏で大変な騒動が起きていたことが、正木敬二氏の「伊奈史学会」掲載の論文に取り上げられている。
猪の捕獲を割り当てられた村では、勢子を動員する。この負担が過酷であった。
各戸から男子1名が出る。男性のいない寡婦の家には割り当て金が課せられた。狩りをしても1回で必要な猪が捕れないと、何度も動員がかかる。この負担に耐えかねて「百姓一揆」が起こったことが記録されている。
朝鮮通信使を迎えるために末端の人々が生活に困るほど苦しんだということになろう。
この時代、儒教の国朝鮮では、仏教では禁じられていた肉食は自由であるのみならず、高級料理として接待供応には欠かせないものであった。
このような食文化の違いが、朝鮮通信使をもてなすための準備に、ひときわ力を注がねばならなかったことにも繋がってくるのであった。
(滋賀県立大学名誉教授=チョン・デソン)
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