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「なぜ女性はスタジアムに入れない?」
男装をした一人のイラン人少女がサッカーの試合が行われる競技場行きのバスに乗っていた。物語はここからスタートする。
サッカーはイランでは国民的なスポーツだ。映画が撮影されたのは、イランのワールドカップ出場がかかった試合当日。イランの正月に当たる時期で、イスラムの休日である金曜日に試合は行われた。会場は首都テヘラン。バスの車内は、すでに大声で歌い踊るイラン人男性でお祭り騒ぎになっている。しかし少女はうつむいたままだ。
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少女たちは男装してサッカー場にでかけた |
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たしかに少女は男装している。イラン女性は、サッカーに限らず男性のスポーツを観ることはできない。スタジアムは男一色。イランのサッカー場で試合観戦した外国人は、一様にその異様な雰囲気を感じるという。
イラン女性にとって、男子サッカーの試合会場は「侵入禁止区域」で、タイトルの「オフサイド・ガールズ」は、そのままイランにおける女性の地位を物語っている。映画は“オフサイド”(一定の条件下で生まれるボールに触れてはならない場所でプレーする反則行為)をしてしまう少女たちの話をテーマとしている。
監督のジャファル・パナヒは、前作「チャドルと生きる」に続き、“自由の制限された革命以降のイラン女性”を題材にした。
「なぜ女はスタジアムに来てはいけないの」
スタジアムの中で捕らえられた少女が問い、答えに窮する兵士の姿がスクリーンに映し出される。
「男と女が同席できないのは決まっていることだ」。ようやく口をついて出た兵士の言葉だ。が、少女は納得できない。捕まったのは、一人ではない。スタジアム内の仮設の留置場には6人の少女がいた。
映画は、ある少女が「映画館では男女同席していいことになっている」と反論するシーンも印象的に映し出す。地方出身の兵士は「それはテヘランだけのことだ」という。兵士と同郷だという別の少女はしかし、「故郷の映画館でも男女同席できた」と食ってかかる。
少女にサッカー観戦を諦めさせようとする兵士は明らかにうろたえていた。パナヒ監督がこめた問題提起のワンシーンだ。
兵士が少女たちの問いに明確な答えを出せないのには理由がある。異性のスポーツを直接観戦することを禁じているのは、この国のイスラム法解釈による、いわば慣習法のようなものだ。
イランのアフマディーネジャド大統領は05年、サッカーワールドカップの予選に限り、特例として女性の試合観戦を認める姿勢を見せた。ところがイラン最高の宗教指導者の立場にいるホメイニ師が、それに反対した。
鶴の一声だった。イラン女性のサッカー観戦は許されなかった。宗教指導者の判断が法として通る。パナヒは映画という手法で、イランの政教一致に異論を唱えているのだろう。
6人の少女たちと兵士の押し問答はイランの矛盾をシンボライズさせるが、パナヒはそれをコミカルに表現する。パナヒは「オフサイド・ガールズ」で、イラン女性のたくましさを巧みに描き出したと言っていい。
女性の囚人や売春婦の光景を描いてイラン問題に鋭く迫った前作「チャドルと生きる」とは対照的だ。
だが、「オフサイド・ガールズ」もまた、前作同様、イラン国内では公開されていない。公開の許可が下りない理由をパナヒは、「現代イラン社会を疑問視した」からだと語る。
海賊版ソフトでこの映画を見ているイラン国民は少なくないという事実を付け加えておこう。
9月1日、東京・日比谷のシャンテ シネほか、全国順次ロードショー。
(文化部・秋一紅)
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