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2007年7月4日発行版
 
民族再統一への障碍
 
 

 7月4日がどういう日であるか、思い起こす人は少なくないはずだ。
 35年前のその日午前10時、韓国と北朝鮮は同時に、南北対話と「祖国統一」に関する宣言文を発表した。
 (1)統一は外国勢力に依存せず、または干渉を受けることなく自主的に解決する。(2)統一は武力行使によらず、平和的方法で実現する。(3)思想、理念、制度の差を超え、単一民族としての民族的大団結をはかる。
 いわゆる「7・4共同声明」は、その年のうちに紙くずとなった。声明から3カ月後の10月、韓国の朴正熙政権は「祖国平和統一のための体制強化」を謳い、いわゆる「10月維新」を断行、これに反発した北朝鮮が韓国批判を強め、12月、新憲法を制定して金日成が国家主席に就いた。
 北朝鮮はなぜ、共同声明をくずかごに放り捨てたのか。韓国内で体制転覆を図る勢力に対し、朴正熙政権が強権策で臨んだことへの怒りであるのは間違いなかった。
 朴正熙政権はたしかに、7・4声明を機に北朝鮮へとおもねる勢力を根絶やしにしようとした。「10月維新」は明らかに独裁強化で、国内政治体制に圧迫を強いた。たとえばソウル大生たちから「政権の唯神か、民主化か」と指弾されたように。言い換えれば、韓国政権は、それほど北朝鮮への恐れと疑いを、それ以前にもまして深めた。
 自主的平和統一とは、北朝鮮側でいえば、韓国で体制が転覆された後の親北朝鮮派政権と手を結ぼうという、スターリン以来の伝統的な「左右合作」戦術の表現にすぎなかったということだ。ようするに、北朝鮮は7・4声明というキャンバスに「左右合作」を描こうとしたにすぎず、韓国は北朝鮮ほどには何の具体策もなく、フィクションを描いたにすぎなかった。このことは、昨年の民団・総連による「5・17和解声明」を思い起こせばリアルに理解できるはずだ。
 35年後の07年6月、朝鮮日報は、民族統一に関して韓国ギャラップと共同世論調査を行った。「統一は不可能」と答えた韓国民は30%に上った。2000年6月の南北首脳会談直後に行われた世論調査で「統一は不可能」と答えた人が9%にすぎなかったことを考えれば格段の差がある。
 韓国人はようやく金正日政権を相手の民族再統一が絵空事であることを理解し始めているのだろうか。
 民族再統一というテーマにおいて、「思想、理念、制度の差を超えよう」というスローガンは、絶えず空疎な響きを伴ってきた。私たちは、ドイツの経験に照らして考えるべきときにきている。韓国が統一しようとする相手には、旧東ドイツが挫折のうちに味わった社会主義の思想も理念も制度もないということを。
 東西ドイツは体制間競争を続けた。つまり、彼らのそれは競争として成立し、だからこそ後者の勝利で終わった。朝鮮半島の南北ではこうした競争は成立しようもない。
 06年、韓国のGDPは7875億ドルで、北朝鮮は208億ドルだった。北朝鮮の発表には裏付けがなく、実際にはもっと開きがあると思われるが、この数字を見ただけでも、体制間の競争は決着がついているはずだ。
 「ソ連の体制崩壊で、北朝鮮の体制は深刻な打撃を受けましたが、まだ首領絶対主義の体制が揺るがずにあります」
 黄長Y氏の言葉は統一の障碍が何であるかを射抜いている。
 民族再統一は「武力統一」でなければ「吸収統一」以外にあり得ない。東ドイツは体制の崩壊の危機と国民の困窮する状況に耐えかねて西ドイツに救いを求めた。ドイツ再統一の真のありようは、東ドイツが、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に加入するという劇的な政治現象だった。
 北朝鮮は「首領絶対主義」が存続するかぎり大韓民国に加わることはないだろう。だが逆に、首領絶対主義に国民を加えさせようとする政権が韓国に生まれ、それはさらに5年延長されようとしている。35年前とは決定的に異なる状況が韓国に生まれている。

 
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