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韓国系大統領が肩組み歌う日が・・・・
いつかレーガンとマルルーニのように
「韓国系の外国の大統領が共に肩を組み、首脳会談でアリランを歌う」
荒唐無稽な話だが、それが今世紀中に実現すると固く信じる人がいる。韓国系米国人で、ワシントン州の上院議員、ポール・シン(73)(韓国名愼昊範)氏だ。シン議員は20日、全世界の韓人会会長400人を前に、大きな声で呼びかけた。
シン議員がそう言うのにはそれなりの理由がある。
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ポール・シン上院議員
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シン議員は1987年、米国とカナダの国境地域で開かれた両国の首脳会談を忘れることができない。当時のロナルド・レーガン米大統領とブライアン・マルルーニカナダ首相は、同じルーツを持っていた。二人ともアイルランド系移民2世で、会議では古いアイルランドのフォークソング「アイルランド人のほほ笑みは」を合唱した。
この時シン議員は「韓民族もこのような晴れがましい日が来るよう身を捧げる」と心に決めた。
「現地で認められるには、同胞たちが活発に政界に進出するのが最善策であると同時に近道だ。韓人会が団結すれば充分に達成可能な目標だ」
シン議員は孤児だった。朝鮮戦争の時は米軍を追いかけ「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んでいた。戦争直後の1955年、米軍軍医だったレイフォール氏の養子になった。16歳の時だった。
米国に発つ日、シン少年は釜山港で祖国を呪った。祖国が自分を捨てたと思ったからだ。
渡米後、死に物狂いで英語を勉強し、大学教授から上院議員になった。昨年11月の中間選挙では、99.7%の賛成票を獲得している。現在ワシントン州上院副議長でもあるシン議員は、有力な次期上院議長候補に挙げられている。
誰もが羨む成功を収めたシン議員だが、米国人にしてみれば英語の上手な外国人だった。韓国の言葉や歴史、文化を学んだのはその後だった。シン議員は自分のアイデンティティーを悟った。祖国を去って20年後の1975年、シン議員は再び釜山港に立った。
「祖国を恨んだことに謝罪する」
1996年には在韓米国大使の候補者にも入った。26人のうち、ホワイトハウスでの最終面接に進んだのは3人。シン議員はその一人だった。
ある米国政府官僚がシン議員に「韓国と米国が衝突すればあなたはどちらの側につくか」と意地悪な質問を向けた。シン議員はこう答えた。
「私にとって米国は家族と愛、教育を施してくれた父であり、韓国は私を生んでくれた母である。子は父と母が睦まじく、幸せに暮らすことだけを望む」
シン議員は最終選考で落とされた。
養子として米国に渡ったシン議員は、自分と同じ立場の移民に対しても格別な関心を寄せている。米国人の養子として渡米した韓国系の子どもや、その養父母を積極的にサポートしている。
シン議員は2つの相反するカウンセリング体験談を語った。「米国養子縁組の光と影」を如実に物語る内容だった。
次のようなケースがあった。
◇
3年前オランダで開かれた海外養子縁組の関連行事で「エリカ」という少女に会った。エリカは2歳の頃、外国人夫婦の養子に入ったが、親が高校に行かせてくれないと悩んでいた。
私は自身の話を聞かせて、エリカを励ました。エリカとは手紙をやりとりする友達になった。
エリカは今年のはじめ、夜間学校を出て大学に入学したと書いてよこした。
8月から手紙が来なくなった。11月7日、選挙が終わった翌日、アムステルダムに飛んで現地のうわさをたよりにエリカを捜した。
ところがエリカは首をつって自殺したという。
◇
ワシントンのある米国人から、韓国系養子の友達とのエピソードを聞いた。話の主人公は、14歳の時に韓国から来た「ピーター」という少年だった。
ある日バスケットボールをしているピーターと友達になった。アイスクリームを食べながら話をしていると、ピーターは「養父母が息子ではなく、客人のように自分を扱う」と泣き出した。
その米国人はピーターの親に会い、ピーターが話した内容を伝えた。ピーターにおつかいもさせて、間違ったことをしたら叱ったほうがいいと忠告した。
ある日ピーターが電話をかけてきた。電話口の先のピーターの声は弾んでいた。
「昨日の夜パパになぐられた。ついに本当の息子になれた」
ピーターは現在、駐ドイツ米軍少佐だ。韓国系養子として、初の米軍大将になるのが彼の夢だ。
(ソウル・李民皓)
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