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2007年6月13日発行版
 
朝鮮通信使の晩餐  「接待の膳」各藩の妙味
鄭大聲
 

嗜好を念入りに調査  資料を配布 

 江戸時代、朝鮮と日本の善隣友好関係の絆となった朝鮮通信使に関する研究は多くの人によって多角的になされてきた。なかでも、「接待の膳」に関しては、その豪華さなどについて報告され、復元が試みられてもいる。
 「接待の膳」には趣向が凝らされたのはもちろんだが、実際には300〜500人にも達する通信使一行の嗜好に合わせるための努力と苦労があったことはいうまでもない。
 筆者は食文化を研究対象とする立場から10数年前からこうしたことへの研究に取り組んできた。
 研究結果の一部は、日本生活文化史学会誌の「生活文化史」NO.37(2000年3月)NO.40(2001年9月)に発表させてもらった。

再現された安芸蒲刈の饗応料理の本膳 「ふるさと下蒲刈(その15) 安芸蒲刈御馳走一番」より
 
   

 今年は通信使の来日400周年にあたる。記念行事が韓国と日本の各地で催されている。
 改めて取り上げたいのは、通信使一行への料理へと、徳川幕府が参考として配布した「朝鮮人好物」という資料についてだ。
 通信使の来日は徳川幕府360余年の期間を通じて12回あった。最後は対馬で行われたので、瀬戸内海を通過したのは11回である。
 第8回の正徳元年(1711)は総勢500名(内129名は淀川上りの船に乗らず大阪で留まる)が、今の広島県下蒲刈に着いた。9月7日と記録されている。
 このとき、江戸幕府の朝鮮外交の窓口であった対馬藩が、通信使が好むとされる食べ物をあらかじめ調べて書き写し、それを通信使の通過する各藩、つまり信使通筋に送っている。
 山口県岩国徴古館に所蔵されている「信使通筋覚書、朝鮮人好物之写」(正徳元年)がその調べ書きの写しである。
 朝鮮通信使一行は朝鮮政府の官僚であり、いわば当時の上層階級の人たちであった。調べ書きに好物として取り上げられている内容は、当時の朝鮮の上層階級の食生活の一端をうかがう上で価値あるものといえよう。
 日本側が朝鮮の使節団を如何に大切にもてなそうとしていたかを窺い知ることができる。
 さらにそれらの食べ物が当時の朝鮮側の文献、資料にどのように記録されているかを知っておく必要もありそうだ。それは朝鮮と日本との食文化を対比する上でも意味があるからだ。


 肉料理まずはカルビ

 例えば焼肉料理の骨付きカルビが、牛肉料理のトップに記されている。詳しくは後述するが、料理の手順と味つけ法は、現在の焼肉店で出されるものと同じである。原文では「肋」とし説明文では「カルヒ」となっている。
 百葉というのが出てくる。これは千葉(チョニョップ)、つまり千枚(センマイ)のことなのだが、今と同じく膾(フェ)、つまり生のさしみとするのが好物となっている。
 羊、豚、猪、鹿などの料理法も取り上げられている。
 豚については別の資料を紹介したい。
 滋賀県彦根城博物館に所蔵されている寛永13年(1636)8月10日付けで送られた彦根藩の江戸にいる井伊直孝からの書状である。これには通信使を迎えるにあたっての指示内容が詳しく書かれている。
 特に肉料理を準備するに必要な豚15頭を長崎の平戸藩に調達を頼み、具体的な輸送方法、飼育法まで指示している。それは当時の近江の国のみならず、日本に食用の豚が飼育されていなかったことを裏付けるものだ。平戸藩はおそらくオランダ屋敷へ納めるための豚を飼育していたから調達可能だったわけである。
 魚介類については魚介28種、海藻4種が好物として上げられている。
 鯛がやはりトップに出てくる。膾、つまりさしみを上としている。さわら、めくろ(さんまのこと)、銀口魚(あゆ)、石首魚(ぐち、いしもち)、烏賊魚(いか)と続く。 
 興味あるのは、「すし」という項目で、作り方を見ると日本の「なれずし」と同じである。朝鮮の食醢(シッケ)を指している。朝鮮で食醢が広く食べられていたことが分かる。
 海藻では昆布、わかめ、海苔、みる、ひじきなどが取り上げられるが、油揚げよしとしているのが特徴である。 


 辛子なしのキムチ

 沈菜と漢字で表記したものがあるが、これは「キミすいという」としている。 
 朝鮮の食生活にキムチが必須のものであることをよく調査したことが、次のような記述で分かる。「彼国の人朝夕肉食する。身体熱する故之を用いる。一飯もキミすいなくては食事ができず、釜山の地をはなれては、食うことならざるにより、調味よろしくして進る時は珍物にむかうべし」
 つまり、キムチの作り方を記しているのだ。
 ここでキムチが毎日の生活に欠かせないことが分かる。作り方を再現してみると「ナバッキムチ」である。水っぽい「水キムチ」だ。しかもトウガラシが使われていない。このことは当時(1700年代前半)にはトウガラシが生活に取り込まれていなかった事実が、この日本側の資料でも裏づけられる。
 その意味ではこの「信使通筋覚書、朝鮮人好物写」は、朝鮮と日本の友好の実を証明してくれる「文書」としてだけでなく、彼我の食生活を比較考察する上でも貴重な資料となるだろう。
 朝鮮通信使400周年記念を機会に、その内容の主なものを取り上げ解説していこう。

朝鮮人来朝図(羽川藤永筆)・神戸市立博物館蔵
江戸市中を行進する朝鮮通信使一行。富士山を遠景に、幔幕を張り、金屏風で飾り立てた江戸駿河町の越後屋呉服店前には、桟敷席が設けられ、行列を見物しようと集まった人々がつめかけ、大賑わいをみせている。「朝鮮通信使と福山藩港・鞆の津」より
 
   

通信使の旅程

 朝鮮通信使とは、足利、豊臣、徳川の武家政権に対して朝鮮国王が送った外交使節団のことで、「朝鮮通信使」「信使」「朝鮮来聘使」「来聘使」などとも呼ばれた。
 実際には、江戸時代、12回にわたって来日した使節団を、「朝鮮通信使」という。
 来日の旅程は、漢陽(現ソウル)を出発し、陸路釜山浦へ。永嘉台から船で対馬に渡る。対馬から壱岐、筑前の藍島(福岡県新宮町相島)を経て、本土最初の寄港地、赤間関(山口県下関市)に到着する。赤間関から瀬戸内海へ抜けた。 
 瀬戸内の各要所で風待ちをしながら大坂に至り、川御座船に乗り換え、淀川を上り、淀に上陸。京都を経て、大津・草津へ入った。
 その後、野洲から朝鮮人街道を通って彦根まで行き、中仙道を経由して江戸へと向かった。

通信使の食材  「信使通筋覚書朝鮮人好物の写」黄牛
 「信使通筋覚書朝鮮人好物の写」の「獣肉」の項目には、大牢(黄牛肉也)というのが初めにある。
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