|
来るべき多民族社会で在日コリアンが存在を示す道
「在日コリアンの日本国籍取得を歓迎する」 “ミスター入管”大いに語る
 |
|
|
さかなか・ひでのり
1945年生まれ。慶應義塾大学大学院修了。1970年法務省入省。1977年、在日韓国・朝鮮人の処遇政策に関するいわゆる「坂中論文」発表。元東京入国管理局長。著書に『入管戦記』などがある。現、外国人政策研究所所長。脱北帰国者支援機構代表。
|
|
| |
|
戦後62年―。解放後、祖国朝鮮半島と緊密な関係を持ちつつも独自の道を歩んできた在日韓国・朝鮮人社会は変容の時期を迎えている。世代交代、増加する日本人との国際結婚、国籍上の人口減少、朝鮮半島に対する帰属意識の薄れ、国際化などが進んでいる。日本社会は人口問題、急速に変化する国際情勢への対応など国のあり方をめぐって国民の意識は変化している。そのなかで在日韓国・朝鮮人は国籍問題をはじめ主体的に選択すべきことは多い。21世紀の日本に「在日」はどう生きていくのか。在日社会の可能性について識者の見方を紹介する。はじめは元東京入管局長、坂中英徳さんの寄稿を掲載する。編集部
「坂中論文」30年前には批判受けたが…
在日韓国・朝鮮人の歴史を振り返ると、今から30年ほど前は、日本には一時滞在しているだけで、いずれは本国に帰るのだという建前論が主流であった。在日コリアンを不幸にした元凶である北朝鮮帰還事業もまだ続いていた。実際は、大半の人が日本での定住を考えていたのだが、それが正面から議論されることはなかった。議論すること自体がタブーになっていた。
私は法務省入国管理局に勤務していた1977年に、「在日朝鮮人の処遇」という表題の論文を発表した。その中で、日本定住を前提にどういう生き方があるのか問題を提起した。それは「坂中論文」と呼ばれ、各方面から同化政策の表明であると批判の集中砲火を浴びた。
それから30年が経過し、今度は国籍の問題が登場してきた。日本国籍を取って、できたら本名を名乗って生きよう。そうすれば日本の政治に参加できるし、社会的に責任ある地位にも就ける。国籍と帰属意識を持つ国が一致し、アイデンティティの問題で悩むこともなくなる。在日コリアンの若い人を中心にそういう考えの人もかなりいると思われるが、本音を語る人は少ないようだ。
発足した日本国籍求める運動
しかし、ようやく最近になって、日本国籍を求める声が高まってきた。2004年2月1日、在日コリアンと日本人の有志が集まって、「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」という運動体が発足した。権利として民族名で日本国籍を取得できる法律の制定と、コリア系日本人として生きる仲間を増やすことを目的として結成されたものだ。日本国籍を求める運動が起きたのは、戦後の在日韓国・朝鮮人運動史の中で画期的なことである。
在日3世・4世の多くが、日本社会のフルメンバーとして責任を果たすため、日本国民の地位を獲得したいと希望している。この運動はそうした若い世代の切実な声を汲み取ったものだと理解している。建前論に終始してきた社会から、一般の声なき声にこたえた運動がスタートしたのは素晴らしいことだ。
民族名のままで日本国籍を取得することは、国籍は変えても民族性を背負って生きることにほかならない。これによって子々孫々までそのルーツを受け継ぐことが可能になる。人口減と帰化の進行による在日コリアンの自然消滅への流れにも歯止めがかかるだろう。
さらに言えば、本国の国籍を持ち続けることで常に本国の政治に翻弄され、外交の道具として利用されてきた不幸な歴史に終止符を打つことができる。日本国籍取得運動は、長年本国の言うがままになって不当な仕打ちに耐えてきた在日コリアンに、新たな道を切り開くものだ。例えば、在日コリアンの精鋭が日本の政界に進出し、政治家としてマイノリティに関係する制度改革や問題解決を図ることが可能になる。
日本国籍取得は「民族の裏切り者」か!
私は、3世・4世が中心の時代になっても、本国政府に忠誠を誓って韓国・朝鮮籍に固執する在日コリアンの心情を理解できない。生まれ育った日本に愛着を感じ、日本の社会のみならず国の構成員になるのが自然な道筋と考えるからだ。戦前に米国に移住した日系人は、日本への思いを抱きつつも米国に忠誠を誓った。理にかなった姿勢だ。日本政府も日系人に「日本のための行動」を求めたりしなかった。それでも、太平洋戦争の勃発により多くの日系人が強制収容所に入れられた。
いまだに日本国籍を取得した在日コリアンを「民族の裏切り者」と呼んで仲間外れにする韓国民団・朝鮮総連の態度には強い違和感を覚える。もはや本国一辺倒の2つの団体は日本社会にとって有害無益の存在でしかない。日本社会に軸足を置かない在日外国人団体は、いずれ完全に消えてなくなるだろう。
一方、2002年9月の小泉首相の訪朝で北朝鮮政府が日本人拉致を認めたことから、日本人の間に、反北朝鮮だけでなく反在日コリアンの感情も広がった。2006年に入り、北朝鮮は7月5日にミサイル発射、10月9日には核実験を強行した。国連安全保障理事会が北朝鮮制裁決議を採択したが、日本人の在日コリアン観も決定的に悪化した。それも無理はない。洪水のような北朝鮮報道を通して、北朝鮮の「悪」のイメージが日本中を覆い尽くしたからだ。本国の悪のイメージを在日コリアンにそっくりダブらせるのは理屈に合わないように見えるが、北朝鮮の工作員による日本人拉致に協力し、核やミサイル開発を資金・技術面で支援するなど、北朝鮮の暗黒な体制を裏で支えてきた人たちが存在することも事実である。
脱北帰国者問題に消極的な人びと
そもそも、本国の手先となって居住国に重大な不利益をもたらすようなことをする外国人集団の存在は、国際的にも国内的にも許されない。多くの日本人を拉致し、日本を主たる標的とする核兵器の開発を進める国の支配下にある在日コリアンに対し、日本国民が強い警戒心を抱くのは至極当然のことだ。厳しい視線は朝鮮籍の人ばかりか、韓国籍の人にも向けられている。
もうひとつ、私が懸念していることがある。それは在日コリアンの脱北帰国者問題に対する消極的態度だ。1959年から84年にかけて、日本に住む朝鮮人と彼らの家族の多くが、いわゆる「北朝鮮帰還事業」によって北朝鮮に帰って行った。その数は9万3340人。その中には約6800人の日本人も含まれていた。
「地上の楽園」を夢見て北朝鮮に渡った人たちを待ち受けていたのは「地上の地獄」であった。彼らは想像を絶する差別と迫害と飢餓に直面した。北朝鮮による人権弾圧の最大の被害者は帰国者である。中でも、朝鮮人に同伴した6800人の日本人とその子孫が最も悲惨な境遇にある。
そのような帰国者の中から、この10年間、命がけで北朝鮮を脱出し日本に帰ってきた人たちが着実に増えており、今では100人を超える数に達している。北朝鮮の全体主義国家体制の危機の深まりとともに、日本に保護を求めてくる脱北帰国者が増加することは必至である。次々と日本に戻ってくる帰国者の証言から、彼らが北朝鮮で受けた残酷な処遇の実態が白日の下にさらされる日は近い。今に国民が北朝鮮帰国者運動の真相を知ることになる。
それでは、現在、在日コリアンが脱北帰国者に向ける基本的スタンスはどういうものか。概括的に言えば、一部に見られる「祖国に対する裏切り者」とののしる反人道的な立場は論外としても、大勢はかつての同胞の窮状を見て見ぬふりをする傍観者の立場だ。仮に、今後ともそのような消極姿勢に何ら変化はないということであれば、脱北帰国者への支援を行っている日本人は、在日コリアンを人間的にも倫理的にも許せない存在であるとみなすだろう。
「多民族国家創造」のカギ握る在日コリアン
最近では、在日韓国・朝鮮人が日本人と結婚する比率が九割に達していることに代表されるように、日本人の在日コリアンへの民族差別はほとんど見られなくなった。同時に、北朝鮮の代弁者の言い分に耳を傾ける日本人もいなくなった。このように健全になった社会を背景に形成された国民世論の持つ重みを在日コリアンは正しく認識すべきである。
日本人の心に刻まれた在日コリアン像を転換させることは尋常な手段ではできない。私は、事ここに至っては、よって立つ基軸を朝鮮半島から日本へ全面的に遷すこと以外に、在日コリアンの名誉回復の道はないと思う。
人口減少社会に入った日本は、多民族共生社会を作ることが国民的な課題となる。現在、定住外国人の数は在日コリアンを含めて120万人ほどで、日本人口の1%にすぎないが、人口減少期の日本は担当規模の定住外国人を受け入れて多民族社会へ向かうだろうと予想される。
私が描く「多民族社会」というのは、日本列島に日本人を中心に多様な国の人たちが居住する社会だ。オールドカマーの在日コリアンはもとより、ニューカマーの外国人の大半も日本国民になり、各民族が固有の文化を維持しながら生活している「多様性に富んだ社会」というイメージを持っている。日本人のほか、コリア系日本人、チャイナ系日本人、ブラジル系日本人、フィリピン系日本人などが活躍する「多民族国家ニッポン」である。
そのときに「多民族共生社会」創造のカギを握るのが在日コリアンだ。オールドカマーの在日コリアンがコリア系日本人として社会に根を張り、ニューカマーの外国人と日本人の懸け橋になっているのだろうか。それとも見る影もなくなっているのだろうか。
21世紀の外国人受け入れ政策に体験を生かせ
在日コリアンには、2つの未来像が考えられる。
ひとつは、早くに民族名で日本国籍を取得し、コリア系日本人として確固たる地位を築いている人たちだ。その場合の在日コリアンは、日本人と固い信頼関係で結ばれ、多民族の国民統合の象徴として日本社会で重きをなしているだろう。もうひとつは、韓国籍、朝鮮籍に固執し少数者の外国人として生きている人たちだ。彼らは少子化に帰化の増加が重なって、自然消滅への道を高速度で進んでいく。その場合の在日コリアンは、日本人から反日的でうとましい存在であったという極印を押されたままで社会から退場することになるだろう。
あるいは、新しく入国した外国人が続々と日本国籍を取って選挙権・被選挙権を行使し、日本社会の一員として立派に責任を果たしているのに、昔からいる在日コリアンの一部が負のイメージを引き摺りながら外国籍のままで社会の片隅にぽつんと残っている光景が見られるかもしれない。
私が書いた「在日朝鮮人の処遇」はかつて「同化政策」だとして厳しく指弾された。だが、「同化」という言葉を「共生」と置き換えたらどうだろうか。たちまち猛烈な反対の声は影を潜めるだろう。民族名や民族文化を尊重して、日本の国籍取得を促すのは同化でなく共生だ。在日コリアンが来るべき多民族社会で存在感を持つためには日本国籍の取得が不可欠である。在日コリアンにとっては輝かしい未来への第一歩を踏みだすものになる。
21世紀の日本の外国人受け入れ政策を考えるとき、私たち日本人は、在日韓国・朝鮮人と向かい合ってきた貴重な体験を生かすしかない。彼らとの深い関わりの歴史を踏まえて、多民族共生社会を構築するための外国人政策を打ち出す必要がある。
|